第一章「オッパブと上司の骨折」はこちら
第二章「心の中でタイキック」はこちら
第三章「忘却のひよこリスペクト」はこちら
第四章「あの夏の日の活動記録」はこちら
最終章「転職の向こう側」はこちら
祝!! 書籍化!!
安斎響市『転職の最終兵器 未来を変える転職のための21のヒント』(かんき出版)<PR>
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41日目
私の名前は、安斎 響市。
27歳、初めての転職で、このポパイ電工株式会社にやってきた。
「ポパイ」と言えば、世界中で知らない人はいない、超有名ブランド。
でも、その中身は・・・
セクハラ、パワハラ、モラハラ、あらゆるハラスメントを網羅する、闇鍋のような会社だったんだ。
安斎は、吸い込まれてしまいそうだった。
その、暗くて深い、闇の中に。
世間的には、ホワイトと呼ばれる超優良企業。
確かに、待遇はそこそこ良いし、オフィスはとても立派で社食もあるし、残業がものすごく多いかといえばそうでもない。有休も一応は取れる。
でも・・・その中に隠されていたのは、20代の若手社員にアルバイトのような雑用を押し付け、大声で怒鳴って罵倒する「体育会系」の企業文化。
飲み会は強制参加、宴会芸と一気飲み、会社の経費でキャバクラと風俗、帰りはタクシーチケット。
仕事なんかどうでもよくて、出世するために必要なのは、
「飲み会」で結果を出すこと。
このまま、ここにいたら・・・私はダメになってしまう気がする。
そんな時だった。
一番仲の良い同期入社の社員、深田から、
「今週、飲みに行かないか?ちょっと話したいことがあって・・・」
と誘われたのは。
42日目
「どうしたんだよ、話があるって?深田の方から急に飲みに行こうなんて、珍しいじゃないか。」
その日、安斎は、同期入社の深田と、すっかり行きつけになった品川駅近くのスペインバルに来ていた。
「それがさ・・・安斎、決まったんだ。海外トレーニー。」
海外トレーニーとは、社員を研修目的で数か月海外現地法人へ派遣する、海外OJT制度である。
でも・・・まさか、入社してまだ4カ月目の中途社員である私たちの中から、海外トレーニーに選ばれる奴が出るなんて・・・
「す・・・すごいな・・・!!! 深田・・・こんな短期間にそれだけの高い評価を得るなんて・・・行先は?」
「来月から、ロンドンに行く。俺も、正直よく分からないんだけどさ。
『評価』って言っても、この4カ月俺がやってきたのは、OA担当として消しゴムやノートの発注をしたり、USBメモリが紛失したのを探したり、部長のスマホが壊れたのを電話会社に問い合わせたり・・・大した仕事は何もしてないからさ。
実は、ロンドン事務所の所長、俺と同じアメリカの大学の社会学部出身でさ、この前、出張で日本に来てて、学歴つながりで飲みに行ったんだ。
そんで・・・その後に、一緒に行ったんだ。
ぽっちゃり専門キャバクラ
『フランダースの豚』に。
しかも、所長が、『スペシャル赤ちゃんコース』頼んじゃってさ・・・
全員、オムツを履かされて、哺乳瓶で酒を飲んだんだ・・・
めっちゃ太ったママたちに囲まれて・・・
な・・何を言ってるのか分からねーと思うが、
俺も、自分が何をしているのか、分からなかった。。。
そしたら、全く意味は分からないんだけど、次の朝に『君のバブみはなかなか鋭かった』とか言われて、海外トレーニーへの抜擢が決まったんだ。」
私は、深田の困惑した顔を見て、彼に「おめでとう」と言っていいものかどうか、分からなかった。
「経緯はともかくさ・・・深田、やっぱりお前はすごいよ。
チャンスを掴む力を持ってる。
海外トレーニーなんて短期の海外駐在みたいなもんだろ?この会社は色々おかしいけど、海外トレーニーに行ったってだけで箔がつく。
仕事の中身はともかく、履歴書の価値は上がる。きっと、これは大きなチャンスだよ。」
「そう・・なのかな・・???
俺、よく分からないよ。。。」
学閥と・・・
赤ちゃんプレイで、
深田は、ロンドンへの切符を手に入れた。
これが、この会社における「成功」というものだ。
その夜、自宅に戻った安斎は、
シャワーも浴びる前に、真っすぐに机に向かい、パソコンを開き、
Google検索に文字を打ち込んだ。
「20代 転職 2回目」と。
43日目
安斎響市、27歳。
地方国立大の学部卒。海外留学経験あり。特技は英語と中国語。
新卒で日系大手メーカーL&Ps(ラブアンドパンティーズ)入社、
地方営業支店、本社海外営業部を経て、中国・上海支社に駐在。
一身上の都合で退職し、日系大手メーカーポパイ電工株式会社へ転職。
現在に至る・・・
ついに、
転職という選択肢を考え始めた、安斎。
しかし・・・
予想していたことではあったが・・・やはり20代で2回目の転職というのは、ハードルが高そうである。
特に、私は1社目のL&Psには5年間勤務しているが、2社目のポパイ電工には4カ月ちょっと前に入社したばかりだ。どう考えたって早すぎる。
私が面接官でも、こんな奴、採用はしないだろう。
当時の安斎は、27歳。転職経験、1回。
今でこそ、自分のスキルと顔に絶対的な自信を持つ安斎だが、当時はまだ、彼の才能は眠ったままだった。
顔は、27歳にしては老けていた。
Google検索で出てきた、たくさんの情報が、彼をますます不安にさせた。
「2回目の転職では、1回目より、現在の就業先での勤務期間が見られます。
最低でも1年、理想は3年以上現職に在籍していないと、何度も転職する“ジョブホッパー”のような印象を与えてしまいます。」
ですよね~~。
そりゃそうだ・・・
たった4カ月ちょっとで転職考えてるなんて、こんなの、まるでジョブホッパーだ。
こんなはずじゃなかった・・・
ほんの少し前まで日系大手メーカーL&Psの同期第一号の海外駐在員、最年少の管理職、完全なる出世コース。
それが・・・
あっという前にジョブホッパーになろうとしている・・・
元々は、仕事をしながら、社会人大学院のMBA課程に入学して、MBA取得後に転職をしようと思っていた。MBAの入学先も、ほぼ決めていた。
でも・・・今年の秋にMBAを受験して、春から2年間、と考えると、MBAの学位を取得するまで、あと3年かかる。
あと3年・・・
たぶん、無理だ。
その前に・・・
自分が壊れてしまう。
かつて・・・
前職のL&Ps時代には、役員の海外事業部長や現地法人社長の前で、タンバリンを華麗に叩き鳴らして、踊り狂い、夜の蝶の如くに狂い咲き、海外駐在員の椅子を勝ち取った「社畜」、安斎。
同期からは「タンバリン駐在」と呼ばれていた。
あの頃も、十分に壊れていた気もするが、こんなに精神的に追い詰められてはいなかった。
そのくらい、
ポパイ電工の「社風」が持つ破壊力は、ケタ違いだったのだ。
ある日、会社から出て帰りの電車に揺られる自分の顔が、窓に映っているのが目に入った。
「ゾンビのようだ。」と、安斎は思った。
まるで、自分の顔が全然イケメンじゃないみたいだった。
安斎は、窓に映る真実から目を背け、
スマホアプリで、転職サイトを開いた。
44日目
安斎の、2度目の転職活動は、
苦戦に苦戦に苦戦に苦戦に苦戦に苦戦に苦戦を重ねていた。
重ね過ぎである。パンケーキか。
一体、何に苦戦していたのかというと・・・
書類が・・・通らない・・・・・
そんなバカな・・・
TOEIC 950点だぞ・・・トリリンガルだぞ・・・
国家資格も持ってて、大手メーカーの海外営業やってて、海外駐在経験もあって、しかも、イケメンだぞ・・・肌もキレイだし、声も渋いのに・・・
なぜだ・・・
今回、安斎は、まだ大手の転職エージェントは使っていなかった。
1回目の転職の際に経験があるが、大手の転職エージェントに登録すると、面談をした後、次々にメールが送られてきて、しょっちゅう電話が鳴って、あまり興味のない求人も勧められたりして、
しかも、当然と言えば当然だが、彼らは出来るだけ短期決戦で、いま手元にある求人の中から「決めよう」としてくるので、若干、自由が利かなくなるのだ。
これでは、ダメだ。
今回、ポパイ電工に転職して半年~1年以内に会社を辞めるってだけでも、相当にクレイジーで、私のキャリアは絶望的になってしまうかもしれないのに、もし、仮に、これで転職できたとしても、また次の会社も・・・ポパイのような会社だったら・・・???
私は、初めての転職では、よく考えずに「大企業だから」「前職よりもずっと有名で大手でエリート」と、安易にポパイ電工を選んでしまった結果、こんなことになっている・・・
また上手く転職できるのかどうかは分からないけど・・・
ここで、また同じ失敗を繰り返すわけには、絶対にいかない。
そのためには、
転職エージェントに振り回されるわけには、いかない。
もちろん、大手の転職エージェントに登録した方が、きっと決まるのは早いと思うが。。。
たぶん、まだその時じゃない。
そう思って、安斎は、とりあえず転職ポータルサイト「ボクナビNEXT」で一括で求人検索をして、小規模のエージェント経由で、まずは様子を見ながら、慎重に転職活動を進めようと思っていた。
しかし・・・
なぜだ・・・・
書類さえ、通らない。
1社も、だ・・・
何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ!!!!!!
本当は、安斎には分かっていた。
書類が通らない理由。
無いのだ、
実績が。何も。
ポパイ電工での実績が。
自分の職務経歴書に、安斎は、
何と書けばいいのか、分からなかった・・・
雑用しかしていない、なんて、書けるはずがなかった。
45日目
20XX年、春。
転職ポータルサイト「ボクナビNEXT」で見つけた求人に応募すること、既に15件。
やはり、2社目に入社してからたったの4カ月半というのが致命的なのか、書類も全然通らない・・・
そんな時、一通のメールが安斎に届く。
「安斎響市 様
お世話になります。ボクナビNEXT経由で応募いただきました、ひよこリスペクト株式会社の書類選考を通過いたしましたので、ご連絡をさせていただきます。
つきましては、一次面接の日程調整をさせていただきたく・・・」
・・・・。
・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・。
キター!!!!!!!!
ひよこリスペクトぉぉぉぉぉぉ!!!!
HI・YO・KO・リスペクトぉぉぉぉぉぉぉ!!!
超有名企業じゃねえか!!
すごい!すごいぞ!!!
あれ・・・???
ちょっと待てよ・・・なんかデジャヴ感が。
そう・・・・それは、去年、ポパイ電工の内定をもらった時の事。
キタァァァああああああああああ!!!!!!
内定!!!!!!!
ポパイ!!
ポパぁぁイ!!!!!!
大企業!!
有名企業!!!
日本トップクラスのブランド!!
5カ月のボーナス!
立派なオフィス!!!
名刺でモテる!!
ポパぁぁぁイィぃ!!
PopaaaaaaiiiiiaaahhhhhhhhhhYeahhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhh!!!!!!!
この半年後に、安斎は地獄を見ることになり、
そして、いま、また転職サイトで求人を探している・・・
ハッと、我に返る安斎。
ちがう、ちがう・・・
今度こそ、失敗は出来ないんだ・・・
大企業だからとか、
有名企業だからとか、
名刺でモテるとか、
受付のお姉さんが美人だとか、
そういうので決めちゃいけないんだ・・・
自分自身の目で、
相手の本質を確かめないといけない。
ひよこリスペクトは、エンターテインメント業界の雄、超有名企業ではあるが、
既に、私は同じく超有名企業の「ポパイ電工」で痛い目を見ている。
自分の目で「ひよこリスペクト」の本質を確かめてやる・・・お手並み拝見と、行こうじゃないか・・・
闘いの、ゴングが鳴った。
しかし・・・
面接を受けるため、会社に有給休暇の申請を出そうとした安斎に、次なる試練が襲いかかる。
「有休?
取れるわけないでしょ?
『有給休暇』っていうのはね、正当な理由なしには取得できない決まりなの。
ハンコは、押せないわよ。」
・・・・え??
46日目
「植野さん・・・
あの・・・有給休暇って、取得する権利・・・ありますよね?
『私用』で、来月の5日、休みたいんですけど」
「その『私用』って何よ?
本当に休みを取るに値する、正当な理由なんでしょうね?」
「それは・・・『私用』としか・・・
植野さんの仰っている『正当な理由』って例えばどんなもののことでしょうか?」
「ハァ!!??あなた、本当に世間知らずなのね。
いい?私たちは、昭和から続く、この由緒正しきポパイ電工の企業戦士なの!!
土日以外に休もうなんて、虫が良すぎるわよね?
有休を取得できる理由って言えば『病欠』だけよ!!
もちろん、『病欠』なんかする根性無しは、評価下げるけどね。」
「えっと・・・
つまり・・・あくまで病気で急遽休んだ時だけ『有休』扱いで処理するってことで・・・事前に有休の申請は出来ないと、いうことですか?」
「当たり前じゃない!!『事前に有休の申請を出す』なんて聞いたことないわよ!! 何を馬鹿なことを言っているの? あなた、自分が『いつ体調崩すか』分かるって言うの!?
エスパーなの!!??
エスパーじゃないわよね!!???」
「エスパーでは・・・
ないです・・・」
「・・・そうよね。
休みなら、土日があるでしょう?
全く・・・もう!!本当にいい加減にしてよね・・・これだから『ゆとり』は・・・」
何ということだ・・・
これでは・・・
面接にも、行けない・・・
47日目
結局、私はその日、「仮病」を使って会社を休んだ。
朝から、上司の高橋課長と、植野係長に電話を入れて、
風邪を引いたみたいで体調が悪い、熱があるので休ませてほしい、と伝えた。
「仮病」で会社を休むなんて初めてだったし、少し罪悪感もあったが、
その後の、植野さんの返しには、さすがに少し驚いた。
「・・・で?
熱って何度あるの?
37.5度くらいなら病気とは言えないし、38度くらいなら普通に出社はできるわよね?
いい?同じチームのあなたが休んだら、私たちに迷惑がかかるの。
それに・・・
この前、言ったわよね?
病欠で休んじゃうと、あなたの人事評価にも関わるから・・・
『休んだ』っていう事実は作らないほうがいいと思うんだけど・・・
あなたの為に言ってるよ?分かるわよね?」
私は・・・
それでも体調が悪くて出社できそうにないことを手短に伝え、電話を切った。
植野さんは不服そうだったが。
やはり、この会社は狂っている。
きっと、インフルエンザでも出社して仕事をしろと言うのだろう。
病気をしても、怪我をしても、オフィスに来て遅くまで残業をして、身体を張って働くのが「えらい」という文化なのだ。
まだ、転職できるかどうか、全く見えていないし、会社やチームにあまり迷惑もかけたくなかったので、下手に「仮病」を使って休むなんて、したくはなかったが、有休の申請をすべて却下されてしまう以上は、もう、これしかない。
そして、私は、新宿駅近く、ひよこリスペクト株式会社の本社ビルへ向かった。
中途採用の、一次面接を受けるために。
ひよこリスペクトは、ポパイと同じくらい知名度があると言ってもいい、超大手有名企業。就職人気ランキングでは常にトップ10に入る人気企業だ。
私が受けるのは、これまでと同じ「海外営業」の仕事。
正直言って、前職のL&Psと、現在働いているポパイで、同じ「海外営業」でも仕事の内容が全然違う、というかポパイで私が毎日やっているのはただの雑用と、エクセルの単純作業に過ぎないので、ひよこリスペクトの「海外営業」がどんな仕事なのかは完全なる未知数ではある。
それでも・・・
さすがにポパイよりはマシだろ・・・という思いもあったし、
そもそも、20代で、転職後たった4カ月半で仕事を探している私を面接に呼んでくれる会社はほとんど無かったので、ダメで元々、と言う気持ちで、一次面接を受けに来たというのが正直なところだ。
ひよこリスペクト株式会社・本社ビル。
広くてきれいなショールームを抜け、2Fの来客ロビーへ。
そのオフィスは、すごく立派だったし、先進的でおしゃれだった。
ひよこリスペクトは、ポパイと同じくらい老舗企業ではあるが、近年の経営危機で大規模なリストラを断行し、経営陣も刷新されたことによって、会社としては新しく生まれ変わったイメージがある。
私は、そこに、昭和の大企業・ポパイ電工とは異なる「可能性」を期待していた。
「中途採用面接の、安斎様ですね。一次面接のお部屋は、こちらです。どうぞ。」
「はい、ありがとうございます。」
48日目
ひよこリスペクト株式会社。
もともと、昭和から続く日系老舗大手メーカーではあるが、2008年の経済危機「ジャーマンドック」により経営が悪化し続け、近年の大規模な経営改革によって、数万人単位のリストラによる退職者を出した一方で、会社は新しく生まれ変わり、消費者の心を掴んだ数々の新商品はヒットを飛ばしている。
ちなみに、その経営改革の時に、「富士山製作所」から「ひよこリスペクト」に社名も変更している。
創業者一家「富士山家」による家族経営からの脱却を図り、ひよこへの徹底的なリスペクトを示すことで、新会社としての生まれ変わりを果たしたのだ。
「こんにちは、初めまして。
ひよこリスペクト海外営業部の北村です。本日はよろしくお願いいたします。」
「こんにちは、安斎響市と申します。
本日はお時間ありがとうございます。よろしくお願いいたします。」
私は、手短に自己紹介と、過去の株式会社L&Psでの職務経歴を伝えた。
「なるほど・・・
まだ若いのに、素晴らしい経歴ですね。
L&Psは私たちと一部の事業で提携もしていますが、あの会社は本当に優秀な人が多い。あのL&Psで、20代で海外駐在員というのは、よほど評価されていたに違いないでしょう」
私は、この時、本当に本当に、新卒で入ったL&Psに感謝した。
大企業のブランドと看板は、辞めた後も生き続ける。自分の経歴として「あの会社で働いていた」ということが一生武器になる。
そう感じていた。
「ところで・・・L&Psも素晴らしい会社ですが、
ポパイ電工も、超大手優良企業です。安斎さんは転職されてから、まだ半年も経っていない。
この短期間で早くも転職を考えてらっしゃる理由を教えていただけますか?」
当然、想定していた質問だ。間違いなく、聞かれるだろうと思っていた。
安斎は、真っすぐに相手の目を見て、落ち着いて答えた。
「ポパイ電工の社風は・・・私には合いそうにありませんでした。
長時間残業を強要する、体育会系の企業文化。
年功序列で、20代は自分の意見も言わせてもらえない、徹底的な上下関係。
少しでもミスをすると先輩から大声で怒鳴られる、昭和の体質。
それが、決して間違っているとは言いません。
どんな会社にも、良いところと悪いところがありますから。
しかし・・・
私には、この会社は合わないと感じていて、もっと自分が、日々モチベーション高く、生き生きと働ける環境を求めています」
安斎が「なぜこの短期間に転職を?」という、答えにくい質問に対して、考えて考えて、最終的に作り出した回答は、一切の嘘偽りなく、正直に答えることだった。
転職活動において『面接対策マニュアル』みたいな本を読むと、「ポジティブな転職理由を」「ネガティブな印象を与えないように」などというアドバイスが多いが、
はっきり言って、入社半年弱で次の会社の面接を受けているこの状況が、「ポジティブ」な訳がない。
言い方を変えて、無理やり「ポジティブ」に見せるよりも、「ネガティブ」な理由をそのまま正直に答えた方が、面接官の印象はまだマシだと考えた。
そもそも、「転職後すぐに辞めようとする人」が絶対にNGであれば、私は今日、面接に呼ばれていない。相手に対して、誠実に、正直に答えるべきところは答えたほうがいいと、そう判断したのだ。
「なるほど・・・
まあ、ポパイ電工の中の事は私も知りませんから。
あの会社も色々とあるのでしょう。安心してください。ご存知の通り、ひよこリスペクトは、経営危機に直面し、生まれ変わった会社です。
昭和の体育会系文化は、もうこの会社には残っていませんよ」
良かった・・・
なんとか、この質問・・・乗り切れたか・・・???
「ところで、安斎さん・・・弊社に入社していただいた暁には、6カ月の本社研修を終えた後、駐在員として、中国の無錫に赴任していただくことになります。
その覚悟は、おありですか?」
「・・・え?」
49日目
「む・・・むしゃく?
むしゃくって、あの『無錫』ですか? 上海の近くの?」
中国・江蘇省にある「無錫市」は、上海から鉄道で2時間程度の場所にある、小さな工業都市で、古くから日本との関係が深く、日系企業の進出も多い。
不二通、糖芝、ソニン、チャープ、パンティストッキングなど、名だたる日系大企業が、中国における開発拠点や生産拠点を構えている。その企業群の中には、日系大企業「ひよこリスペクト」も含まれている。
「あれ?? もしかして、エージェントの方からはお聞きになっていなかったでしょうか?
このポジションは、前提として中国駐在が条件となります。
その為、中国・上海での駐在経験と、メーカーの商品企画経験がある安斎さんのご経歴は、きっとピッタリだと思ったのですが・・・」
・・・。
あのジジイ・・・
そんなこと、一言も言ってなかったじゃねえか・・・
安斎は今回、ポータルサイト「ボクナビNEXT」経由でコンタクトを取った、
ひよこリスペクトを定年退職した後、個人で転職エージェントをやっているという、
ピヨ澤という男性の紹介で、この面接を受けに来ている。
しかし・・・
あのひよこジジイ・・・
私を騙そうとしていたのか、単純にボケてんのか知らないが・・・
聞いてねえ。
聞いてねえぞ・・・
中国駐在なんて・・・
「・・・。安斎さん、ひよこリスペクトとしては、現在、本当に海外事業の人材が足りていないんです。
特に、あなたのように、英語も中国語もビジネスレベルで使えて、大手メーカーの経験がある20代の若手の方は、非常に希少だ。我々としては、ぜひ最終面接に進んでほしいと考えているのですが・・・中国駐在という前提で、一度、前向きに考えてはいただけないでしょうか?」
「はい・・・。
少し、考える時間をください・・・」
チャンスなのは、分かっていた。
これは、安斎にとって、ポパイ電工という地獄から抜け出すための、千載一遇のチャンスだった。
しかし・・・
また・・・中国に逆戻り・・???
安斎は、迷い込んでいた。
キャリアの迷路に。出口のない、迷宮に。
50日目
ひよこリスペクト株式会社の一次面接を終えた、安斎。
「一応、正式な合否連絡は、3日以内にエージェント経由でさせていただきます。
安斎さんも、『6か月後の中国駐在』という条件で当社に入社していただけるかどうか、一度お考えいただき、ご納得いただいた上で最終面接に進んでいただければと思います」
転職エージェントのピヨ澤というジジイに、まんまと騙され、大事な条件を隠されたまま面接を受けていたらしい・・・
面接後、さっそく電話をしてみたが・・・
「ピヨ澤さん、あの・・・話が違うじゃないですか?
面接でお会いした北村さん、『入社後すぐに中国駐在が前提のポジション』だって仰ってましたよ。
そういう大事な条件は、事前に伝えていただけないでしょうか・・・・?」
「えー、だって安斎さん、将来的にまた海外駐在の機会があれば挑戦したいって言ってましたよねえ。。
つい半年前まで上海にいらっしゃったのなら、無錫の生活にもすぐ馴染めるでしょうし、ピッタリだと思ったんですよね。
まだ正式な連絡は来てませんが、一次面接は恐らく通過したでしょう。
次は最終面接!頑張ってくださいね!! ムフフ・・・」
くっ・・・クソ・・・このジジイ。。。
私をこの求人に押し込んで報酬を得ることしか考えてねえな・・・
まあ、
転職エージェントっていうのは、そういう商売だ・・・
仕方ない。
問題は、私自身が次の面接を受けるかどうか、だ。
慎重に考えよう。。。
このモヤモヤした気分のまま、職場に戻るの、嫌だなあ・・・めんどくさいなあ。会社行きたくないなあ・・・風邪で休んだの、植野さんに怒られるんだろうなあ。
本当は仮病使って面接行ってたんだけど・・・体調崩して休んだら怒られるって、おかしいよなあ・・・
はぁ・・・
憂鬱な気分と共に、翌日、安斎は会社に向かった。もはや、ストレスの源でしかない、ポパイ電工株式会社、グローバル本社ビル。エレベーターで22Fの海外営業部に上がり、自分の部署へ。
植野さん、もう来てるかなあ・・・怒られるよなあ・・・
ビクビクしながら、自分の席の方へ歩いていると・・・
「あなた!!
自分が何をしたか
分かっているの!?」
という植野さんの怒号が聞こえた。
「ひぃぃ!! す、すみません!!」
・・・ん?
あれ?
今、怒られたの・・・
私じゃない・・???
ふと見ると、新卒2年目の佐藤くんが、床に正座させられている。
「今回は本当にやってくれたわね・・・
佐藤くん。。。
覚悟は、出来てるんでしょうね?」
・・・え?
なに?・・・これ。
51日目
佐藤 倫太郎 24歳、
ポパイ電工株式会社、新卒2年目。
商社マンである父親の仕事の関係で、幼少期をカリフォルニアで過ごした帰国子女。
有名私立・軽王義塾大学の中でも最もクリエイティブでイケイケの学部、通称SFC(埼玉ふじみ野キャンパス)の総合政策学部出身。
研究テーマは「国際結婚戦略論」。
ジャニーズ Jr. 風のイケメン。彼女あり。
香水はもちろん、ドルチェ&ガッバーナ、美容室は表参道だ。
ファブリーズ&1000円カットの安斎とは、訳が違う。
その圧倒的な顔と、清潔感、学歴と英語力があれば、「就活」など彼にとってはスーパーマリオの1-1に過ぎず、就活期間2週間で内定18社。
その中から、
大企業の中の大企業。
大手の中の大手。
日系の中の日系。
ホワイトの中のホワイト。
もはや歯磨き粉。
超有名企業の中の
超有名企業である、
ポパイ電工株式会社へ、
入社を決めた。
入社後、6カ月の工場実習を終えた彼は・・・
それが・・・
なぜか工場実習が終わらず、
「一次的な需要増で生産が追い付かないから、今年の新入社員はもう少し現場にブチ込んでおけ」というトップの合理的な経営判断と、人事部の卓越した人材教育方針により、6カ月の工場実習の予定が、8カ月に延び、その後、更に延び・・・
結局新卒1年目の丸々1年間を、茨城県水戸市の工場の中で生産ラインを回し続けて過ごし、1年経っても、ほとんど何の実務経験も積めなかった、新卒高学歴エリート。社内では「奇跡の世代」と呼ばれている。
そんな佐藤くんが、工場で1年も過ごし、新人期間工から「佐藤先輩」と呼ばれるようになる頃、やっと茨城県水戸第3工場・組み立て工程から解放され、配属されたのが、
ポパイ電工株式会社 グローバル本社 海外営業部。
その、数か月後・・・
彼は、床に正座をさせられていた。
「何とか言ってみなさいよ。
えぇ!?このポンコツ新人が!!」
普段から、毒舌で怖い植野係長が、今日は、いつにも増して、怖い。
「お前・・・アホやろ?
分かっとんのか?コラァ!?」
うおッ・・!!!何ということだ・・・
なぜか、生販チームの田村さんまでいるじゃないか・・・
いつもヒョウ柄のニットを着ている、THE大阪のオバハン、田村よし子。
通称:浪速のザンギエフ・・・
植野さんと、田村さん、この2人の女性社員が並ぶと・・・
鬼のようだ・・・生きた心地がしない。
恐らくだが、2人共「上弦の鬼」だろう・・
「本当に、本当に、申し訳ございませんでしたぁぁぁ!!!!」
今にも泣きだしそうな、悲痛な声で、佐藤くんが何度も謝っている。
え・・・? 会社で新人が床に正座させられてるのとか、初めて見たんだけど・・・
ちょっと、引くんだけど・・・
「あ・・・あの・・・植野さん、、、
これは・・何が・・??」
安斎は、勇気を振り絞って、上弦の鬼に話しかけた。
「何って・・・見ればわかるでしょ?
佐藤・・・コイツ・・!!!
ミスったのよ!!エクセルのコピペ作業を!!!」
「・・・・こ、こぴぺ ??」
52日目
「安斎さん・・・僕が、僕が悪いんです・・・僕がコピペを間違えてしまったから・・・・
本当に、本当に、本当に、申し訳ございません!!!ご迷惑をおかけしましたぁぁぁ!!!」
目に涙を浮かべ、スーツ姿で床に正座して、大声で懺悔を続ける佐藤くん。
せっかくのイケメンが台無しだ。これじゃ、HUBでナンパさえできそうにない。
「・・・。『ご迷惑をおかけした』じゃねえんだよ。佐藤。
殺すぞ」
「せやで・・・きっちりと落とし前、つけてもらおうかい?」
仁王立ちで睨みを効かせる、上弦の壱・植野ゆみと、上弦の弐・田村よし子。
怖い。怖すぎる。これじゃ、酔っぱらったHUBの外人でさえナンパしないだろう。
「あ、あの・・・さっき、佐藤くんがエクセルのコピペをミスったって、仰ってましたけど・・・
それが、そんなに問題なんですか?」
安斎も、鬼が怖くて仕方なくて、今にもチビりそうではあったが・・・佐藤くんがあまりにも可哀想すぎる。
そもそも、何言ってんだ?この人たち・・・
エクセルのコピペをミスったくらい、何がそんなに問題なんだ?
「安斎・・・てめー何も分かっとらんなぁ!!
あぁぁぁん!!???」
口を開いたのは、浪速のザンギエフ・田村さん。
「す、すすすす、すみません!!!
不勉強で申し訳ございません・・・
エクセルのコピペとは・・・」
もはや恐怖のあまり、安斎の股間はチビリンピック状態である。
「ハァ・・・仕方ないわね。バカでも分かるように説明してあげるわ。この植野がね。
安斎くんは入社したばかりで知らないかもしれないけど・・・EPAよ。経済連携協定の貿易優遇措置。タイ工場向けの出荷部品のEPA関税控除申請ね、合計出荷金額を元に関税の支払額が免除される貿易関連手続きを、タイ担当の佐藤くんが一部やってて・・・
3月分の出荷実績、タイ現地法人の担当者から先週送られてきた部品一覧のエクセルを元に、1万2,500項目の部品ナンバーと出荷台数とコスト金額を、社内貿易管理システムにひたすら一個一個コピペして入力する作業をやっていたところで・・・
間違えたのよ。2か所。コピペを。
ひとつ隣の入力ボックスに入れやがったのよ。このポンコツ佐藤はね。」
「2か所・・・というのは、1万2,500回の作業のうち、2回を間違えた。
ということですか・・・??」
「そうね。」
「いや、あの・・・こんな言い方もアレですけど・・・
人間、1万回も単純作業してたら2回くらい間違えるんじゃ・・・」
「ああああんん!!??
死にてえのか?お前も?安斎!! あ!?」
「すすすっすすすすすす、、、
すみません!!!!!
あの、私はそのwえlげあえいえkdkhgh」
もはや、チビリンピックは金メダル確実だ。
怖すぎるだろ、田村さん・・・
「佐藤のコピペミスのおかげでなぁ・・・
関税優遇受けられんくなって、280万円の損失出しとるんや!!」
「そ、そんな・・・
新卒2年目の佐藤くんがエクセルの作業を少しミスったくらいで、数百万円単位の損失に直結するなんて・・・仕組みとしておかしくないですか・・・?? EPAも政府に対して事後修正の申請とか出来るのでは・・・」
「安斎さん!!僕がいけないんです!!
毎月第3営業日はEPA処理のインプットの日だって分かっていたんです。分かっていたんですけど・・・近藤先輩にバニーガールのお店に誘っていただいて、・・人事評価にも関わりますし・・・お断りすることができなくて・・・
いつものように先輩たちにテキーラ一気飲みをさせられて・・・
六本木の『バニーで踊らNIGHT』のステージで記憶を無くしてしまって、そのまま朝になって・・・出社して・・・
そして。。。。
ミスってしまったんです!!!コピペを!!2か所!!
全部、僕の責任です!!」
うん。。。
もう、私には、何が何だか分からないし・・・
正直、誰が悪いのかも、全く分からないよ・・・・
今にも泣きだしそうな佐藤くんを冷たく一瞥して、
植野係長が、口を開く。
「仕方ない・・・『謝る』しかないわね。。。
オイ、佐藤。ついてきな。・・・土下座タイムよ」
・・・え?
53日目
「おっ。始まったな・・・やっぱりこう来たか~。
植野係長は怖いねえ~」
「坂口さん・・・」
「もしかして、安斎は、見るの初めて? うちの会社の、土下座タイム。」
坂口さんは、少し年上の先輩だ。新卒でポパイ電工に入社し、確か、今年で10年目の31歳。佐藤くんに先日「バニーガールキャバクラ」でテキーラを飲ませまくった先輩たちの一人だ。
当然だが、私は例の「オッパブ事変」以来、先輩たちから完全に嫌われているため、もうキャバクラ社内接待に誘われることは二度と無い。そんな「出世の道を断たれた」私とは違い、佐藤くんは若手の有望株。
先輩たちから可愛がられ、週に2回はキャバクラや風俗に連れていかれ、「仕事のいろは」を叩き込まれている。
もちろん、キャバクラ通いをするようなお金は、新卒2年目の佐藤くんには無い。
全額、会社の経費である。
前職のL&Psでも、国内営業の奴らは「接待交際費」で出張中に取引先とキャバクラで使った領収書を会社で精算していたので、どこの会社でも、「営業マンが経費でキャバクラに行く」くらいは珍しくもないとは思うが・・・
ポパイ電工では、普通に、部長や本部長などに対する社内接待、というか社内の飲み会でキャバクラや風俗に行った領収書を経理に回して経費で落とし、夜中まで遊び歩いた末に、堂々と全員タクシーチケットを使って帰っている。
そもそも、なぜ内勤の我々が、タクシーチケットなんて何枚でも自由に使えるのかは謎だし、毎週のように風俗で使ったお金をどうやって経費処理しているのか、詳細は私にはさっぱり分からないが・・・
そうやって佐藤くんがいつも朝まで飲みに連れていかれ、眠そうな顔をして仕事をしているのは知っていた・・・
そして、起こってしまったのが、今回の重大な「エクセルのコピペ」ミスである。
我々、海外営業部アジア&パシフィック営業課の仕事は、約50%がパワポ資料作り、30%がエクセルのコピペ、20%が雑用である。基本的に、すべて単純作業だ。正直言って、本気で頭を使う仕事はほとんど無い。
朝まで飲み歩いて半分酔っぱらって出勤していても、佐藤くんは今まで何とかミスをせずに上手くこなしていた・・・
「おっ!!始まったぞ!
よく見とけよ、安斎!!」
なぜか、
フンドシ一丁になった佐藤くんが、歯を食いしばって、真剣な顔つきで、植野さんの後に続いてフロア内を一周して歩いて回っている。
赤いフンドシには、「ポパイ電工・命」と書かれている。
このフロア内で一番偉い、神永統括本部長の前まで来たところで、佐藤くんが、ゆっくりと静かに床に膝をつき、土下座のポーズを決めたのだった。
「わたくしー、佐藤倫太郎はー!!!
前日に六本木『バニーで踊らNIGHT』にてテキーラを飲み過ぎたせいで、業務執行時に、頭が全く回らずーー!!
ツイッターでバズっていた覚えたての『エクセルのショートカット』を間違えて使ってしまい!!!
コピペ作業をーー!!
2か所、ミスってしまいました!!
わたくし佐藤の!!不徳の致すところでございます!!!
大変、大変、申し訳ございませんでしたーー!!」
神永統括本部長は、PCで株の値動きをチェックしており、佐藤くんのフンドシ姿の渾身の土下座を、見てさえもいない。
「次・・・行くわよ。」
「はい。。。植野さん・・・」
植野係長は、フンドシ姿の若手新人・佐藤くんを連れて、オフィスの下の階へ降りて行った。
「・・・。坂口さん・・・あの、、土下座タイムって何ですか・・?
なんであんな事を・・・」
「決まってるだろ・・・見せしめだよ。
あんな目にあったら、佐藤だって二度とミスはしないように今後気を付けるだろうし、安斎、お前だって土下座タイムを食らわないように、仕事頑張るだろ?
つまりは、再発防止策だ。『ポパイ電工』流のPDCAだと言ってもいい。」
「PDCAって・・・そういう意味でしたっけ・・??
そんな『脅し』みたいなことするより、例えば、エクセルのマクロ組むとかして今やってる膨大なコピペ作業を減らすとか、タイの部品発注システムから直接、日本の貿易管理システムに情報が流れるように自動化するとか・・・」
「安斎・・・お前バカだなぁww
そんな高度なこと、うちのITに出来るわけないだろ?
それに・・・
自動化なんてしたら、俺たち全員、仕事なくなっちゃうじゃないか。」
・・・。
54日目
効率化なんてしてしまったら、仕事が無くなって、人を切らないといけなくなる。でも、リストラをするわけにはいかない・・・だから、敢えて「効率化」も「自動化」もする気はない、か・・・
確かに、大企業にありがちな話だ・・・
前職の日系大手メーカーL&Ps(ラブアンドパンティーズ)でも、似たようなことはあった。
当時・・・
私が所属していたオパンティー事業部の海外工場生産比率はどんどん上がり、逆に、日本国内の工場は稼働が減り続け、常に閑散としていた。
でも・・・工場でラインを回しているオジサンたち全員のクビを切るわけにはいかない。
「雇用を生み出している」ことで工場のある地方自治体から入ってくるお金もある。地元の政治家とも、色んな意味で「仲良く」している。
雇用は、守らなければならないのだ。
はっきり言って、もはや日本でしか作れない製品など、この世にありはしない。技術力が同じなら、中国やタイやインドネシアやマレーシアやバングラディシュの工場で作った方が労働者のコストは明らかに安い。
MADE IN JAPANに、何の価値もないことは、みんな知っている。
それでもなお、日本の工場の雇用を守るために、日系大手メーカーL&Psが下した結論は、静岡県のある工場でしか採用していない特殊な塗装加工を、オパンティー事業部の新製品に採用し、「これは国内でしか生産できないオパンティーだ」という理由をでっち上げることであった。
はっきり言って、そんな特殊な塗装は、お客様は望んでいない。
そして、静岡で生産するより、マレーシアで生産した方が圧倒的にコストは安い。このオパンティーは、同じスペックでマレーシアで作れば定価8万円で売れるが、静岡生産だと定価13万円になる。
しかも、無理やり、使わなくてもいい特殊な塗装技術を採用したため、外観デザインはひどく不格好になってしまった。自分のプロダクトデザインを、くだらない経営の都合で書き換えられて、図面に意味不明で不必要な部品を追加されたデザイナーは、ブチ切れて会社を辞めてしまった。
でも、これでいいのだ。
雇用を、守るためなのだから。
そんな前職の商品企画時代の事を、安斎は思い出していた・・・
大企業においては、「効率化」は正義ではない。
たとえ、佐藤くんがエクセルのマニュアル作業をミスって会社に損失が出ようとも、そのエクセル作業をすべて自動化してしまったら、うちの部署の人数は、今の半数でも恐らく足りてしまう。
その社員は、どこへ行く?
社員をクビにして人員削減するという選択肢がない以上、効率化なんてしても、暇になった社員が時間を持て余してしまうだけ。そもそも、誰も口には出さないが、既に人は余りまくっている。
うちの部署の寺内担当課長は一日中Yahooニュースを見ているだけで年収1,000万円以上稼いでいるし、志村係長は「新人教育担当」という名目で若手をいじめているだけで、特に何も仕事はしていない。
「無駄な仕事の削減」なんて言い出したら、もうキリがない。だから、業務改善なんてしなくていいのである。
それでも・・・
安斎には、どうしても気になることがあった。
「坂口さん・・・エクセル作業をITで自動化するのが、それほど簡単な事じゃないのは、なんとなく分かりました。たぶん色々な社内事情があるのでしょう。
でも、こんな、エクセルの膨大な回数の単純作業を、私たちは日々やってるのに、
なぜ、モニター無しで、
小さなノートPCの 1画面で
全員作業しているんですか?」
「・・・え? それってモニターを2画面にするってこと?
それは斬新なアイディアだね。考えたこともなかったなぁ・・・」
55日目
「その、モニターを2台使うと、作業効率が上がったりするのか? 1画面でしか仕事したことないから、全然分かんないんだけど。」
坂口さん・・・それ本気で言ってます?
と聞こうとして、安斎はやめた。
もちろん、先輩は本気で言っている。
そうか・・・坂口さんは新卒から10年、ポパイ電工でしか働いたことがない。
この会社、1社の働き方しか知らないし、坂口さんの知っている「仕事」とは、この仕事のことで、坂口さんの知っている「社会」とは、この会社の中のことだ。
私だって一体「何を知っている」というのか?
過去5年間勤めていた前職の株式会社L&Psと、ほんの4カ月しかいないポパイ電工株式会社が、自分のキャリアのすべてだ。
全ての人に見えている世界は違う。
「PC本体の他にモニターを繋いで2画面使った方が作業は効率的だ」というのは、私の中では常識だったが、それが全ての人の常識ではないことは明らかだ。
確かに、私も大学生の頃は2画面なんて使ったこともなかったし、その便利さも知らなかった。
このポパイ電工が、PCは 1人1台1画面、モニターの支給無しというルールで動いていて、社内で誰一人セカンドモニターを使っていなければ、確かにそれが普通だとみんな思うのだろう。
でも・・・我々は日々何万行・何十万行というエクセルで出荷台数情報や部品ナンバーを処理していて、しかも仕事の大部分はマニュアル作業で、複数のエクセルファイルを同時に開いて実績の集計をしたりしているのに・・・
画面は、2画面あった方がいいに決まってるんじゃないか?
確かに、うちの会社のオフィスの中でモニターがあるのは打ち合わせ用の会議室だけで、個人の机に作業用のセカンドモニターを置いているのは見たことが無いが・・・一体なぜ・・・モニターなんて1万円も出せば買えるのに。。。
安斎は、先日の飲み会の二次会での、高橋課長の言葉を思い出していた。
「もし、この会社で働く中で、おかしいと思うことや、改善すべきことがあったら、教えてくれないかね?」
一度、課長に聞いてみよう、と思った。ポパイ電工は相当に狂った会社ではあるが、社員はみんな高学歴で、頭は良い。
高橋課長も「社畜」ではあるし「セクハラオヤジ」ではあるが、決して頭が悪いわけではないし、モニターを数台買うくらいで部署のメンバーのミスが減るのなら、さすがに反対はしないのではないか。
何より、なぜ今まで、この毎年数兆円の売り上げを叩き出す大企業が、たかがモニターも買わずに、13インチのノートPCの1画面だけで、みんな難しい顔をして細かい作業をしているのか、単純に疑問に思った。
「高橋課長・・・少し、お時間よろしいでしょうか?」
「おお、安斎さん。どうだね、最近は元気にやってるかね」
元気もクソも無い。今朝から、新卒2年目の佐藤くんが、鬼のような女性の先輩達にバカだポンコツだと大声で罵られ、フンドシ一丁で土下座して会社中を回っているのに、上司のあなたは何をのんきに普通に仕事をしているんだ・・・
いや、やめよう。
ポパイはそういう会社だ。
ここで何を言っても無駄だ。
それよりも・・・
「業務用のディスプレイモニターに関してなのですが・・・」
安斎は、ディスプレイが2画面あれば我々の部署の業務を効率化することが可能で、今朝発覚したようなエクセルのミスも減らせる可能性が高いことを、高橋課長に説明した。「デュアルディスプレイ化で平均42%生産性がアップ」というアメリカの大学の研究レポートと、23インチモニターの価格帯が分かる資料も見せた。
なぜ、たかがモニターの購入を申請するのに、こんな初歩的な説明をする必要があるのかは謎だが、仕方がない。だって、誰も2画面の必要性を感じていないようなのだから・・・。
高橋課長は、数か月前に複雑骨折した右手の包帯がやっと取れたのがよほど嬉しいのか、右手でボールペンをクルクル回しながら、私の話を聞いていたが、返ってきた返事は、私が期待していたものとは違っていた。
「安斎さん・・・この高橋をナメてもらっては困る。ディスプレイを2画面にすれば作業効率が上がることくらい、私にも分かっているよ。
でもさ・・・
もし、うちでモニターを購入するとなると、うちの営業課だけじゃなく海外営業部全体で、社員全員にモニターを支給するって話になる。そして、海外営業部だけってわけにもいかないから、社内のすべての部署の、全社員にモニターを支給しないといけなくなるだろ?
この本社ビルだけで、3,500人以上の社員が働いている。モニター3,500台だ。
仮に1台1万2,000円だとしても、4,200万円のコストになる。消費税を入れると4,620万円だ。
これだと、明石本部長決裁案件になってくる。
つまり、説明用のパワポ資料を最低でも300枚は作らないといけないし、まずは本部長に話を持っていく前に、部長承認だ。
そのためには、まずは部長お気に入りのお店で数回のご接待のステップを踏まないといけない。
確実に・・・3カ月はかかるな。
この仕事、やり切れるか?・・・安斎さん。」
「無理です。」
安斎は・・・
考えるのを、やめた。
56日目
高橋秀夫。49歳。二児の父。ポパイ電工株式会社 TKG事業統括本部 海外営業部 アジア&パシフィック営業課 課長。
別名:春を愛する下ネタ大魔神。
いや・・・
別名は、いま私が付けた。
6カ月ほど前、ポパイ執行役員・明石本部長の「鶴の一声」により、カラオケのパーティールームで全裸での相撲対決をすることとなる。
対戦相手は、近藤主任、35歳。
高校時代サッカーで全国大会出場、現在も週末はフットサルに通う、アスリート系パリピ・近藤主任に対し、高橋課長は中学高校時代を合唱部で過ごし、現在、唯一の趣味は飲酒。
その艶やかなテノールの美声も、「サッカー部の足腰」と「若さ」の前では、無力だった。
多少の体躯の差があるとはいえ、近藤主任は細い身体にも筋肉とエネルギーが漲り、高橋課長は純粋なるぽっちゃりデブ。勝ち目のない戦いであることは、彼にも分かっていたが・・・
明石本部長のご指示は、神のお告げ。
仕事で手を抜くことは、許されない。
「うおおおぉぉぉぉぉおおお!!!」
ものすごい気迫で、部下との相撲の真剣勝負にフルチンで臨む、高橋営業課長、49歳。
その巨体の突進をさらりと躱し、足を引っかけて課長の転倒による自滅を誘う、若きフルチン策士、近藤主任、35歳。
これは果たして「相撲」なのか。
それは、誰にも分からない。
実は・・・
カラオケのパーティールームとは、主に「歌を歌う」用途で作られており、日本の「国技」である「相撲を取る」ために設計されてはいないのである。
そもそも、この場所には「土俵」が無い。
一体何をどうやったら、どっちの勝ちになるのか、全くルールが分からない。
そんな理不尽な戦いに駆り出された、二人の企業戦士。
その死闘の結末は・・・高橋課長の「右手複雑骨折」という終幕を迎えた。
「名誉の負傷」と呼ばれた、その傷は、夜中に救急で行った病院で全治1か月と診断され、高橋課長が骨折しているのに社内接待で酒を飲み続けたため、結局、包帯が取れるまで3カ月以上かかったのであった。
最近やっと包帯が取れ、お気に入りのMONTBLANCのボールペンを、完治した右手でクルクル回すのが、最近の高橋課長のトレンド。
なお、ペン回しのスキルは極めて低いため、たまにゴトッと机に落としてしまい「あっ・・」と声を漏らすところまでが1セットである。
これを1日に、だいたい108セットくらい繰り返している。
108・・・
そう。煩悩の数だ。
そんな高橋課長に対して、「モニターを購入して2画面使えばエクセルの作業が効率化できるのではないか」という、過去に、このポパイ電工の歴史上、誰一人として成しえなかった、先進的なチャレンジを提案する、安斎響市、27歳、平社員。
彼の真剣な訴えも虚しく・・・高橋課長の出した答えは、
うちの部署だけ買うわけにはいかない。買うなら全社員平等に、全員に買わないといけない。
そして、その為には、モニター購入の根拠となるロジックとエビデンスを固めて、最低でも300枚はパワポ資料を作る必要があり、かつ、前原部長および明石本部長への入念な社内接待を繰り返す必要がある、
ということだった。
この時点で、安斎は、諦めた。
「明石本部長への社内接待」には、「テキーラ一気飲み」や、突然振られる「一発芸」や「女装」「全裸で相撲勝負をすること」なども、当然含まれる。
社内承認のハードルが・・・高すぎる。
モニターを購入してもらうのは諦めて、13インチのノートPCの1画面だけで頑張ろう。
そして、全てを忘れて、転職活動に戻ろう。
きっと、それが唯一の正解だ。
「ああ・・・そうだ、ちょっと待って、安斎さんさぁ、前に、言ったよね?
オッパブはコミュニケーションだって。
コミュニケーション能力って本当に大事なんだよ。ビジネススキルとしてね。君・・・この前も来なかったよね?3次会の『爆乳社員マスカット』に。
このまま、こういうことが続くとさ・・・君を国内営業部の地方支店に飛ばさないといけなくなるかもしれないんだが・・・」
安斎は、右手でペンを回しながら喋り続ける高橋課長を無視して、会議室から出た。
部屋の中からは、「チッ・・」という舌打ちと、「ゴトッ」とペンを落とす音が聞こえた。
57日目
やはり・・・
この会社はダメだ・・・
よく意識高い系の人たちは、「自分の選んだ道を正解にしていく」ということを言う。
その考え方自体が間違っているとは、私も思わない。
どんなキャリアだとしても、それは自分が選んだキャリアだ。少なくとも、一度は自分が信じたキャリアだ。
それを、簡単に「この道ではダメだ」と諦めてしまうよりも、自分の選択を信じて、「この道で自分に出来ること」を精一杯やって、何とか結果を出せるように、努力をすべきなのだろう。そうすれば「やはり、この道を選んでよかった」と思える日が来るのかもしれない。
その考え方は、決して間違ってはいないと思う。
「転職の極意は、まず目の前の仕事で結果を出すことだ」と言う人もいる。
この考え方も、別に間違いだとは私は思わない。
何の実績も経験も無い人に「転職」などできる訳はないし、
今の仕事で評価されていない人は、きっと次の仕事でも評価されないのかもしれない。
私のポパイ電工での実績は、ゼロと言っていい。膨大な単純作業をこなすことにより、多少エクセルとパワポのスキルが向上したくらいで、何の経験も積んではいない。
クレイジーな大企業の内側を知ることにより、いつかどこかで披露する「すべらない話」のネタは手に入ったが、自分のキャリアにプラスになるような知識やスキルは、過去5カ月で何ひとつ得られていない。
今、転職活動をしても、私は前職のL&Ps時代の実績と経験で勝負するしかない。「では、ポパイ電工ではどんな仕事を?」と聞かれても、私には何もない。
本当は、この短期間に転職を考える前に、「目の前の仕事で結果を出す」ことで、「自分が選んだ道を正解にする」努力をしないといけないのかもしれない・・・
しかし・・・
物事には「限度」がある。
この会社で、一体何をすれば・・・
結果を出すことが出来て、ポパイ電工に転職したことを「正解」に出来るというのだろうか?
例えば、転職活動では実績を「数字」で示せと、先日食い気味で読んだ面接対策本には書いてあったが・・・仮に、私のポパイ電工での過去5カ月の仕事を、何とか数字で示そうとすると・・・
パワポの作成ページ数:5,422枚
担当業務「毎朝会社の前の通りのゴミ拾い」で拾ったゴミ:328個
植野さんに怒られた回数:約4,000回
こんなところだ。
もはや、これは職務経歴書が強いとか弱いとか、そういうレベルではない。夢なら覚めてほしい。
また・・・過去5カ月、合計9回の飲み会は全て強制参加で、私も毎回2次会までは参加したが、
3次会のOL風酒場「爆乳社員マスカット」にも、
セクシーキャバクラ「ダイナマイト将軍」にも、
方言熟女パブ「クリスマスキャロルが流れる頃だべ」にも、私は付いていかなかった。
その結果、待っていたのは・・・
課長からの「キャバクラについて来ないなら、地方に飛ばすぞ?」という脅し。
何という理不尽・・・。
そして・・・社内接待とパワハラが支配する、海外に行くことは無く、英語もほとんど使わずに、エクセルのコピペとGoogle検索でレポートを作り続けるだけの「海外営業部」。
コピペを一瞬でもミスれば、待っているのは「土下座タイム」。
実は、あの日から佐藤くんは2日連続で仕事を休んでいる。風邪を引いたと聞いているが・・・もしかして、メンタルをやられてしまったのではないかと少し心配している。
まあ・・・まだ若干寒さの残る4月初旬に、フンドシ一丁で社内を土下座して回ったのだから、風邪を引くのも当たり前な気もするが。
とにかく・・・
もう転職しかない。
この会社にいても、私には明るい未来は無いし、たぶん、この会社自体にも明るい未来は無い。
こんな会社は、いつかきっと潰れる。
そんなことを考えていた、
その時、安斎のスマホが鳴った。
転職エージェントのピヨ澤からの着信だった。
58日目
安斎は、電話に出た。
「どうも、ピヨ澤です。お世話になります。安斎さん、グッドニュースですよ!ひよこリスペクト株式会社の海外営業部のポジション、先日の一次面接、通過です。おめでとうございます!!
評価良かったみたいですよ。それで、早速なんですが、次の二次面接が最終面接になりますので、例えば、来週とか、面接に行ける日程をいくつか頂戴できますと・・・」
「あの、ピヨ澤さん・・・
数日前にもお伝えしましたが、『入社半年後から中国の無錫に駐在』が前提のポジションというお話だったので、一度、最終面接に進むかどうか私の方でも検討させていただきたいと・・・」
「はい、えー、
・・・そうでしたね。
あ、でも、この3日くらいで、もうお考えになりましたよね?受けますよね?最終面接。」
「あの、確か、海外駐在の具体的な期間とか、駐在時の待遇とか、ピヨ澤さんから先方にヒアリングしていただくっていうお話になってたと思いますが・・・」
「・・・。えーと・・そういうのはね、全部、面接の場で直接聞いてもらった方が早いですから、ね?受けますよね?最終面接。」
「いや・・・その・・・また中国に行くとなると、妻の意向や仕事の都合もありますし・・・もう少し考えさせてください。今週中にはお返事しますので」
「・・・え??
受けますよね?最終面接。」
「あの・・・なので、今週中にはメールでお返事をさせていただきます。」
「・・・受けますよね?最終面接。」
この人は・・・ちょっとダメそうだ。
ひよこリスペクトのOBだと言うから、内部事情に色々と詳しいだろうと思って、個人の転職エージェントのピヨ澤さんを選んだのだが・・・全然まともな情報をくれないし、向こうとコミュニケーションも取ってくれない。
本当に、見つけた人材を、ただ企業側に流しているだけだ・・・
転職エージェントには、当たり外れがある。これは、もう仕方がない。
それよりも・・・中国か・・・。
安斎は、自分自身が「自分の過去のキャリア」に縛られていることを、この時、痛感した。
学生時代、モテるために英語を身に付け、モテるためにTOEIC950点取って、その結果・・・ なぜか全くモテることはなかった私だが・・・いざ、大学卒業後の人生を考えた時に、中途半端な学歴しかなかった私は、恐らく英語だけでは就活を勝ち抜くことは不可能だと考えた。
そこで、必死に勉強して身に付けたのが中国語だった。トリリンガルになれば、今度こそモテるかも・・・という淡い期待もあった。
結局、トリリンガルになってもモテることは一切無かったが・・・もし自分に「中国語」が無ければ、新卒の就活で日系大手企業の内定をいくつも貰うことは出来なかっただろうし、26歳で海外駐在というチャンスを得ることも無かっただろう。
しかし・・・
あの時、危惧していたことが、やはり現実になってきている。
中国語という希少スキルを持っていたから、大企業に入社することもできたし、海外駐在という貴重な経験もできた。
しかし、中国語という希少スキルを持っていたことにより、私は前の会社で、ずっと希望していたアメリカではなく中国にしか駐在することはできなかったし、いま転職をしようとしても、私に興味を持ってくれる会社は、私の「中国語」や「中国駐在経験」に期待して、採用を検討している。
自分自身が過去に作り上げた「中国ビジネス人材」というスペックに、
自分自身の将来のキャリアが縛られてしまっている。
大企業で「流される」ままにキャリアを積むことが、いかに恐ろしいことか、安斎は社会人6年目にして、思い知ったのであった・・・
59日目
金曜日の朝、会社に行く前にスタバでiPadを開いて、安斎はメールを書いた。
最近は、毎朝6時にスタバでコーヒーを飲みながら、少し転職活動の調べ物や求人検索をして、それから8時までに会社に着くように電車に乗るようにしている。
ポパイ電工では、毎朝8時から全社員参加の朝礼とラジオ体操の時間がある。オフィスの外に出ることはほとんど無い、「内勤」の我々が、なぜか全員スーツにネクタイ姿で、毎朝8時からラジオ体操をしている風景は、なかなかシュールだ。
今さら、この会社に「ロジカル」かどうかなんて求めても仕方がない。とにかく毎日8時までに出社をしないといけないし、日によっては残業で帰りも遅くなるため、転職活動をするためには朝に時間を作るしかないのだ。
実は、安斎は、「朝」が大の苦手だった。
放っておくと10時間でも12時間でも寝ているため、「赤ちゃんよりも寝る男」というあだ名を付けられたこともある。それでも、この転職活動の為に、なんとかかんとか頑張って早起きをして、朝早くスタバに通う日々だった。
それだけに・・・せっかく最終面接まで呼ばれた、ひよこリスペクト株式会社の選考を辞退するのは、結構勇気の要ることではあった。
でも・・・仕方がない。
私は、ポパイ電工から逃げるために「転職活動」をしているわけではないのだ。
ポパイ電工で働く日々は憂鬱ではあるけれど、ポパイじゃなければどこでもいい、というわけではない。
今度こそ、転職で失敗するわけにはいかない。
ポパイから逃げ出すために、自分の希望と違う会社に行くのは、きっと間違っている。
ピヨ澤様、
お世話になります。安斎です。
ひよこリスペクト株式会社の件、やはり、「中国駐在」の前提条件が、私の希望と明らかに異なるため、誠に残念ではございますが、最終選考は辞退とさせていただきたく、宜しくお願い致します。
安斎 響市
メールの送信ボタンを押して、残ったコーヒーを飲み干そうとしたところで、安斎のスマホが鳴った。
着信画面には「ピヨ澤 ピヨ吉」の名前。
マジか・・・今、朝の6:17だぞ。メール送ってから1分しか経ってないのに、さすがはジジイ。早起きだな。
「はい、安斎です。」
「ちょっとちょっとぉ~~~、安斎すわぁ~ん!! 困りますよ~~~、辞退だなんて~。どうしちゃったんですかぁ~~、もう~~~」
なんだ、コイツは・・・
こんなキャラだったか??
おネェ・・いや、
もしかしてババアなのか?
ジジイじゃなくて。
「あの・・・大変申し訳ないのですが・・・やはり短期間にまた中国に戻るというのは、ちょっと自分の考えるところとは違いまして・・・」
「え~~、中国、大好きですよね!!そう言ってましたよね!安斎さぁぁ~ん」
言ってない・・・
言ってないぞ、そんなこと。
そういえば、前職で上海に駐在が決まったときも、上司の鈴木部長に、
「安斎ちゃん、行くわよね?上海」
と半ば強引に決められて、Noと言えなかったせいで結局は後悔した記憶がある・・・
ここは、はっきり断ろう。
「ピヨ澤さん、はっきり言わせていただきますが、今回、せっかく最終面接にも呼んでいただいたのに、結果としてひよこリスペクトさんにもご迷惑をおかけすることになってしまっているのは、ピヨ澤さんが『中国駐在』という大事な条件を、私に事前に伝えていなかったのが一つの原因でもあるんです。
私は前職の会社を、中国駐在時代の経験が理由で辞めています。今回は、辞退をさせていただきます」
「安斎さん・・・
そこまで仰るなら仕方がありませんが。。。。
本当に、いいんですか?
私はね、安斎さんの為に言っているんですよ?
実はここだけの話ですけどね・・・」
60日目
「転職エージェントという立場で、本来こんなことを言ってはいけないのかもしれません。でも・・・私は個人のエージェントで、少数の信頼できる企業としか付き合いもない。他の有象無象のような転職エージェントとは違います。
だから、『ここだけの話』だと思って聞いてほしいんですけど・・・」
電話の向こうで、やけに真面目な雰囲気で話し始めた、ピヨ澤。
なんだ?
さっきまでのおネェみたいな口調はどこへ行った?
ジジイなのか、ババアなのか、
どっちなんだ?この人は・・・
「安斎さん・・・
単刀直入に言いますが、
ポパイ電工は・・・・・ヤバいです」
・・・。
知ってます。
何を言ってる?
このジジイは・・・
そんなことは、入社初日から知っている。
だから入社5カ月で、早くも他社の面接を受けているんじゃないか・・・
「安斎さん・・・僕ね、思うんだけど・・・もしかして安斎さん、転職エージェントに騙されたんじゃないですか?
ポパイ電工は人気企業なので受ける人は多いですけど、実は、もう何年も前から、若い人が短期間にどんどん辞めてて・・・20代の若い人を中途で大量採用してるんですよ、新卒の代わりに。
そうして採用した人たちも、だいたい3年くらいで辞めちゃうんだけど、転職エージェントからすると、次々に人を送り込めば、永遠に儲かりますからね。
ポパイは学歴やスペックにこだわるし、面接官も偏屈な人が多いから、採用ハードルは結構高いんだけど・・・なんせ『ポパイ電工』の看板があるから。優秀な人、いくらでも面接受けに来ますからね・・・」
なんとなく、合点がいった。
そうか・・・それでか、
社会人6年目の中途入社の私と、新卒2年目の佐藤くんが全く同じ仕事をしているのは・・・
私が転職したポジションは、「第二新卒」みたいなものだったのか・・・
前職L&Psで、同期第一号で海外駐在に呼ばれ、最年少で管理職になった私が・・・「第二新卒」扱いだったのか・・・
「安斎さん・・・実は、あなたの他にも、ポパイを辞めたいと言って『ひよこリスペクト』の面接を受けに来た人は何人かいるんです。
でも、最終面接まで行ったのは、あなただけだ。
ポパイは、早く辞めたほうがいい。このチャンスを逃すべきじゃないと思います。
・・・。
このピヨ澤が!!お力になりますから!!」
「ピヨ澤さん・・・ありがとうございます。でも・・・ひよこリスペクトには行きません。
失礼します。」
「・・え!?
どうして!!??
私はあなたの為を思って!!
ご協力しますから!!
このピヨ澤が!!
このピヨ・・・」
プツッ・・・
・・・これでいい。
私の意思は、変わらない。
仮に、私がポパイ電工に転職した時に担当してくれた転職エージェントが、「ポパイは若手の離職率が高い」ことを知っていたとしても、それを私に言わないのは当然だ。
私が選んだんだ。
ポパイ電工を。
騙されたわけじゃない。
だからこそ、今度こそ・・・自分の意志で、自分の考えで、慎重に判断して、転職を成功させないといけない・・・
安斎は、iPadとノートを閉じて、スタバを出た。
京王線に乗って、会社へ向かう。
その足取りは、もう、重くはない。
私は、前向きな転職をするんだ。
ポパイから逃げるためじゃない。自分の考える人生とキャリアを実現するために。
少し前までは、ポパイ電工に入社後、短期間に転職を繰り返して「ジョブホッパーになること」に不安と迷いを感じていた安斎だったが・・・もう、彼には迷いは無かった。
ジョブホッパー?
上等じゃないか。
私は、もはや、むしろジョブホッパーになりたい!!
ジョブホッパーに!!
私はなる!!!!
何か、大切なものが、
彼の中で、音を立てて壊れていった。
安斎は、その音に、気付いていなかった。
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100日後に転職するジョブホッパー
第三章「忘却のひよこリスペクト」
完。
・・・第四章へつづく。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称等は架空であり、
実在のものとは一切関係ありませんが、
安斎響市は、「自称イケメン」の、
無敵のジョブホッパーです。
第一章「オッパブと上司の骨折」はこちら
第二章「心の中でタイキック」はこちら