雑記

100日後に転職するジョブホッパー【最終章】

第一章「オッパブと上司の骨折」はこちら
第二章「心の中でタイキック」はこちら
第三章「忘却のひよこリスペクト」はこちら
第四章「あの夏の日の活動記録」はこちら
最終章「転職の向こう側」はこちら



祝!! 書籍化!!


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81日目


私の名前は、安斎 響市。

27歳、初めての転職で、このポパイ電工株式会社にやってきた。


「ポパイ」と言えば、世界中で知らない人はいない、超有名ブランド。でも・・・その実態は、世にも奇妙ドラマチックエキセントリックブラック企業だったんだ。



大都会・東京。
品川区の真ん中に悠然とそびえ立つ、ポパイ電工 グローバル本社ビル。

ポパイに入社して9カ月が経とうとしていた、その時、私がやっていたのは・・・そのビルの中のありとあらゆるゴミ箱を回ってゴミを集め、それを一つ一つ、丁寧に手に取って分類し、集計することだった。


「自己啓発活動」という名の、「仕事」・・・というか、もはや「拷問」に近い無給のグループワーク。


それが、「ポパ活」だった。

宣誓!!我々!!社員一同は!!

ポパイマンシップに則り、創業者・法蓮草珍助の想いを胸に!

私たちを支え、励まし、指導してくださった全ての方々への感謝の気持ちを忘れずに、正々堂々、全力でポパ活をすることを、誓います!」



8月26日。20XX年度 ポパイ理念推進活動、第一次審査会。

「東京本社ブロック予選」の戦いの火蓋が、切られたのであった。



自信に満ち溢れた清水先輩。ガチガチに緊張するプレゼンター、今村。上司や先輩の顔色をうかがってビクビクしている、佐藤くん。そして、ポパ活など、もはやどうでもよく、話を聞いていない男、安斎

4人のポパイマン達の、夏の甲子園が始まった。


82日目



・・・しかし、この写真が社内報「ぽぱいずむ」の表紙に使われることはなかった。


「アメリカ営業課」との死闘に全てを出し尽くした「アジア&パシフィック営業課」は・・・続く3回戦、「アフリカ営業課」に、ウソのようにボロ負けした。


それは、本当に一瞬の出来事だった。

終わりは突然やってくるのだ。


1回戦と2回戦・・・「昭和最後のポンコツ」今村のプレゼンは、案の定ボロボロで、目も当てられない惨事となったが、うちの営業課一の美人である須鴨さんが当日ミニスカートで出勤し、「ポパ活審査委員会」の役員の皆様に笑顔を振りまいたため、我々のチームはなぜか100点を叩き出し、予選ブロックを勝ち上がっていった。


最大の敵だった「アメリカ営業課」にも、須鴨さんパワーで勝利したのだ。


しかし・・・
3回戦。ついに今村がやらかす。


せっかく作った1,000枚のパワポ資料のデータを、間違って消してしまったのだ。共有フォルダごと、すべて。



「・・・あっ!

ん?
・・んん?

あれ???」


一瞬で、私たちの夏の努力の結晶が、無に帰してしまった。



・・・。


プレゼンの術を失った今村は、なんとかパワポ無しで、ジェスチャーで乗り切ろうとしたが・・・

この先は、言わなくても分かるだろう。



20XX年、夏。
こうして私たちの「ポパ活」は、花火のように散っていった。


これだけ話を引っ張った割に、終わりは早いのだ。




・・・なにせ、最終章だからね。この物語が終わりを迎えるまで、あと18日しか無いのだ。


「100日後に転職する」とタイトルに付けてしまったが・・・果たして、安斎は、本当に転職できるのか。

実は、安斎響市とポパイ電工の物語は、まだ「終盤」を迎えてはいなかった。




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ふう。。。

やっと・・・終わった。


良かった。今日からはもう、仕事が終わった後、夜遅くまで会社に残って「ポパ活」をする必要はない。

これからは、転職活動に集中できる。


さあ、本当に忙しくなるのは、ここからだ。絶対に、ビート・チック・サタデーナイトフィーバー株式会社商品企画職の内定を勝ち取るんだ。


私が新卒から5年いたのと同じ業界だから、業界研究はほとんど必要ないが、面接対策、自己PRのまとめ、英語面接の練習、などなど、やることは、たくさんある。


よし・・・
勝つぞ。今度こそ。




そう思ったのも、つかの間だった。植野さんが、いつもの無表情で立っていた。


「安斎君、ポパ活、お疲れ様。お盆休みも返上で、大変だったわね。

結果は残念だったけど・・・今村のやつは、私が後で『土下座タイム』に連れて行って禊をさせるから、心配ないわ。まあ、この1カ月の『ポパ活』は、あなたの血となり肉となる、貴重な経験だったと思うから、今後もポパイへの愛と尊敬を忘れずに、頑張ってね。」



「植野さん、はい・・ありがとうございます。。。大変・・・勉強に・・・なりました・・・」


「それで・・・今日からは、また気持ちを切り替えて、新しいプロジェクトに取り組んでほしいんだけど・・・

安斎君、あなた、『忘年会実行委員会』のメンバーに選出されたわ」



・・・え?





83日目



安斎は、混乱した。


何?聞き間違え・・・だよな?

「忘年会実行委員会」だって?いやいや、今日、8月31日なんだけど。いま、夏だけど。


「年」を「忘」れると書いて、「忘年会」。

いや・・・確かに、今年はすでに忘れ去りたいこと記憶から抹消したいことが多すぎるが、


だからって、夏に忘年会をやろうっていうのか?

意味が分からない・・・でも、植野さんは、決して冗談は言わない。


下手に口答えしたり、初歩的な質問をしたりすると、

いつものように、「ちょっと安斎君・・・冗談は顔だけにしてくれる?」と、真顔で言われそうな気がする・・・

植野さんは、人間というより鬼に近いので、このイケメン過ぎる安斎の魅力が伝わらないのは、まあ仕方がないとしても・・・


ポパイ電工では、忘年会を夏にやるのか?全く理解できないぞ。

やはり、年に一度ではなく、二度くらいは、この世の全てを忘却の彼方に置き去りにしないと、この環境では「精神」が耐えられない、という意味だろうか。

でも・・・聞いたら、怒られるかも。

そう言えば、「ポパ活」の話が最初に来た時も、私は「パパ活」と間違えて、植野さんに怒られたんだっけ・・・


「安斎君?何、ボーッとしてんのよ?

忘年会よ。うちの海外営業部全体の。

毎年、だいたい、12月の10日頃にやるんだけど、各部署から選抜された『実行委員会』は3カ月以上前から企画を始めるの。

明日、キックオフミーティングがあるそうよ。これから毎週、『定例企画会議』に参加してもらうことになると思うわ。」



安斎は、驚愕した。

別に、忘年会を夏にやるわけではない・・・3カ月以上先の、年末の忘年会の「準備」を、今から始めようと言うのだ。

まだ暑さの残る8月の終わりに「忘年会」のことを考えたのは、生まれて初めてだ。



しかし・・・
言われてみれば、当然だ。


ここは、ポパイ電工だ。


毎月の月末にやっている部署内の飲み会でさえ、事前に会議を開いて、「座席表」「式次第」をパワポで作成し、事前にマネジメントレビューと部長承認のハンコをもらった上で、正式に執り行う。

そんな会社の、海外営業部総勢200人以上が集まる「忘年会」ともなれば・・・その準備が、1カ月や2カ月で終わるわけがない。


「植野さん・・・でも、なぜ、私が実行委員に選ばれたのでしょうか?」

「20代の新人だからよ。理由はそれで十分でしょ?

海外営業部の共有ドライブに、昨年度の関連資料一式、入ってるはずだから、ちゃんと事前に目を通しておいてね。

いい?分かってると思うけど・・・飲み会は仕事よりも遥かに重要よ。これは、あなたの今後のキャリアを決める大事なチャンスでもあるの。

しっかりね」



安斎は、絶望した。



それは・・・海外営業部の共有ドライブに入っていた、「(社外秘)ポパイ電工海外営業部20XX年度忘年会_report_20XX1219_写真①」というフォルダ内の、去年の忘年会の写真だった。


なんだ・・・
これは・・!?


フォルダ内に保存されていたクレイジーな写真膨大な資料を見て、安斎には、もう嫌な予感しかしなかった。

これから・・・何が始まるって言うんだ?

「ポパ活」がやっと終わったと思ったのに・・・


「神様は、乗り越えられない試練は与えない」と言うが・・・これは、あんまりだ。

ひどいよ、神様。。。


安斎は・・・
転職できるのか・・・???



84日目


「全員揃ったな・・・。それでは、キックオフミーティングを始める。一応、自己紹介をしておくと、私はアメリカ営業課・課長のトミー岩下だ。このプロジェクトのリーダーを務める。みんな、よろしくな。」

そう言って、高級スーツが似合う精悍な顔つきの岩下さんは、会議室内のメンバーの顔をぐるりと眺めた。


父親がアメリカ人のハーフらしい。いかにも仕事ができそうな雰囲気で、うちのフルチン相撲課長とは大違いだ。


「じゃあ、今日は一回目ってことで・・・

自己紹介から始めようか?まずは、二宮。」



「はい。アメリカ営業課の二宮です。

新卒入社7年目。飲み会幹事実績は22回。昨年も、忘年会実行委員メンバーでした。昨年の経験を活かし、より良い忘年会を作っていきたいです」


「中国営業課の大野です。

中途3年目。飲み会幹事実績は17回。中国営業課の飲み会は、一通り仕切らせてもらってます」


「アフリカ営業課の櫻井です。

新卒6年目。飲み会幹事実績は14回。2年前のハロウィンコスプレパーティーでは、MVPを受賞しました」


「ヨーロッパ営業課の松本です。

新卒8年目。飲み会幹事実績は53回。このフロアでは実績トップかと。二次会・三次会・四次会までお任せください」


「PSI推進部の相葉です。

中途入社2年目、飲み会幹事実績は26回・・・」


「管理課の大島です。飲み会幹事実績は・・・」


「経営企画課の原です。飲み会幹事実績は・・・」


あれ・・??
何これ・・・


みんな、「実績」とかあんの?


「アジア&パシフィック営業課の安斎です・・・中途1年目、去年の11月に入社しました。去年の年末は工場実習中だったので忘年会には参加していません。

の、飲み会幹事実績は・・・1回です。。。



「1回!?」


「たったの1回だけ?今まで一体何をやってたんだ!?


「マジかよ・・・
1年目で窓際ってことか?ちゃんと仕事しろよ・・・」



会議室が、急にざわついた。


そう、ポパイ電工では、「すべての仕事は飲み会に通じる」と言われており、飲み会で活躍できていない社員というのは、「窓際族」「給料ドロボー」と同じなのである。



「まあまあ・・・みんな、安斎君は、まだ一年目だ。各課の横のつながりを作って、より強固な飲み会ネットワークを築くのも、この忘年会プロジェクトの一つの目的でもある。

一人ひとり、飲み会の経験値が違うのは仕方がない。みんなで協力していこうじゃないか。それより・・・まだ自己紹介が終わってないメンバーがいるぞ。続けてくれ」



「SCM業務課ノ、『アニーシュ』デェス。

中途入社3ネン目、ノミカイ実績ハ4回。カレーは、ヨリモ、ナン派デ、アリマス」



なんか凄いのがいるなぁと思っていたが・・・

こいつ・・・若手なのか?

貫禄あり過ぎるだろ・・・


つーか、なんでいきなりカレーの話をしたんだ??




「みんな、アニーシュはインド人社員だ。

私たち海外営業部は、常に海外からの新しい風を求めている。彼の意見も取り入れながら、グローバルでインターナショナルな忘年会にしていこう!」



ううむ。10人以上若手を集めて、忘年会の準備に3か月以上かけてる時点で、ゴリゴリのクソ昭和日系企業だと思うが・・・



「早速だが、今日のアジェンダを・・・二宮、パワポ写せるか?

あと今日の議事録は相葉が担当してくれ」



「ハイッ!!」



「・・・うん。みんな、この仮スケジュール表を見てくれ。まず、9月末までには忘年会のテーマを決めて、場所を押さえる必要がある。

そこで、君たち一人一人から案を出してほしい。そうだな・・・簡潔に、パワポ30枚くらいでいい。全員、来週の月曜日までに作ってきてくれ。

それと、これから月曜日の朝6時~8時は、毎週プロジェクト定例会議とする。月曜は5時45分までに出社するように」



「ハイッ!!」



・・・おいおい。正気か?

また変なものに足を突っ込んでしまっているぞ・・・



「・・・ん!?

おい!!アニーシュ!!会議中にナンは食うなって言っただろ!!やめろ!口から出せ!!」

「スミマセン、

ナン食べてシマイマシタ。」




こうして・・・9月1日、ポパイ電工・海外営業部「忘年会実行委員会」が正式に発足した。

安斎の嫌な予感は、見事に的中したのであった。



85日目


よし・・っと。志望動機自己PRは、こんな感じかな。そろそろ会社に行くか。

朝7時15分。安斎は、面接対策のノートを閉じて、いつものスタバを出て、電車に乗った。




「忘年会実行委員会」の仕事は、なかなかに厄介で、海外営業部225人分、全員の年功序列を明らかにして上座・下座のアラインを取った「座席表」、3時間半、全31項目に及ぶ「式次第」、そして、なぜか社内の忘年会にもかかわらず作成を指示された「招待状」、海外駐在中のお偉いさんからの「サプライズ・ビデオレター」などなど・・・

もはや、やる事が多すぎて、

私は「海外営業部・オーストラリア担当」なのか、それとも「海外営業部・忘年会専従」なのか、よく分からなくなってくるほどだった。


他の忘年会実行委員のメンバーたちの気迫もすごい。


「・・・で、安斎ちゃん、進捗、どうなの?


彼は・・・ヨーロッパ営業課の松本さんか。


「飲み会に関しては、俺、神永統括本部長のお墨付きも貰っちゃってるから、分かんないことあったら、なんでも聞いてくれよ?

俺、飲み会に定評があるだろ?色んな人に気に入られちゃって、今週末も、西村部長と永田次長にゴルフ誘われちゃってさあ~、困っちゃうよ~」

「・・・うるさい。黙れ。

ポパイが移る」



「・・・え?
なんか言った?」



いえ・・・ありがとうございます。

別件あるので失礼します」


「バカ」に構っている暇はない。


今夜は、7時から面接を受けに行くのだ。



幸い、普段は仕事にネチネチ文句をつけてくる植野さんも、


「今は、忘年会に集中しなさい。通常業務なんて、どうだっていいのよ。

細かい仕事は全部、佐藤くんにやらせておきましょう。」


と言って、私を自由にしてくれるので、

私は、この絶好の機会を、「転職活動」に最大限に利用した。




「ポパ活」は仕事じゃないと言われて無給でやったのに・・・「忘年会」は仕事なんだな・・・という疑問はあったが、

まあ、そんなことはどうでもいい。



適当に仕事を片付けて、「忘年会の打ち合わせ」に行くと見せかけて会社を出る。足早に、ビート・チック・サタデーナイトフィーバー株式会社の渋谷オフィスへ急ぐ。


・・・通称「ビーチク」

オパンティー業界において、私が前にいた株式会社L&Ps(ラブアンドパンティーズ)世界最大手の超有名ブランドであるのに対して、ビーチクは、国内5番手~6番手の老舗中堅企業、といったところか。

オパンティー好きなら知っているブランドの一つではあるが、一般知名度はそれほど高くない。


ポパイに比べたら非常に小さな会社だが、非上場で創業家経営のため、資金力はあるのだろう。渋谷駅から少し離れたところに、立派な自社ビルを持っている。


そこで・・・一次面接の面接官として出てきたのは、ジーンズにパーカー姿の、丸坊主のひげオヤジだった。


「どもー。
商品企画課の課長の吉本ですー。

いやー、L&Psの人ね。付き合いありますよ、ラブパン。いい会社だよね~。なんで辞めちゃったの?俺だったら辞めないけどなあ、ラブパンなんて大手に入れたら」


「へ~~。そんで?L&Psって、本社勤務だよね?海外営業では、どんな仕事してたの?」


「え?中国語喋れんの?日本人だよね?駐在期間はどんくらい?

いや~、俺も去年まで台湾にいたんだけど、工場とのやり取りとか一人でやるのしんどくてさ、中国語喋れる部下、欲しかったんだよね。


50年以上続く老舗企業だし、もっと堅い会社かと思っていたのだが・・・

あまりにカジュアルな雰囲気なので、安斎は、逆に拍子抜けして戸惑ってしまった。


私のL&Psでの経験や、オパンティー業界の話ばかりで志望理由も聞かなければ、ポパイのことも一言も聞かない。ある意味、会社が求めている経験とスキルを持ってさえいれば後は気にしない、という感じで、はっきりしている。



「あ、そうだ、ちょっと中国語で質問してもいい?」


「はい、もちろんです」


安斎にとっては、上海を去って以来、実に、1年以上振りに喋る、中国語だった。



「・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・。

・・・・・・・。


・・・听起来,你说的中文肯定有南方的口音嘛。是从哪里过来的?

(安斎さんの中国語、南の方の訛りがあるように聞こえますが・・・なぜですか?)」

您说的对。有些人说这样。我大学时候在香港那边学习中文。我讲的中文应该有一点点广东地方的口音。

(おっしゃる通りです。よく言われます。私は大学時代、香港で中国語を身につけたので、少し広東地方の訛りがあるんです)」



哈哈哈,并不是"一点点"吧!

(ハハハ、『少し』じゃないね!)」



「まあ、そんくらい喋れれば十分だね。

うんうん、じゃ、今日はここまでにしましょうか。結果は数日以内に連絡すっから、よろしく~



・・・。

かなり、くだけた雰囲気の面接だったな。


変な人だったな。あの人が上司になるのか。。。



ビーチク・・・

前職のL&Psとも、ポパイとも、全然違う雰囲気の会社のような気がする・・・


少し不思議な気分で、安斎は「ビーチク」のオフィスを出た。夜8時の渋谷の街は、少し、雨が降っていた。


86日目


ポパイ電工株式会社、グローバル本社ビル。22F 海外営業部。いつものように、私の担当業務である「エクセルのコピペ」と「Google検索で得た情報でパワポのコメント更新」を進めていると、スーツのポケットの中で、スマホが鳴った。

「ピクルートエージェント」の森下さんからの電話だった。

少しドキドキしながら、周りの目を気にしつつ、こっそり人気のない会議室へ入り、電話を折り返す。


「お世話になります。安斎です。」


「森下です。お世話になります。安斎さん、ビート・チック・サタデーナイトフィーバー株式会社、一次面接通過です!

おめでとうございます!やはり業界経験があると強いですね。次が最終面接みたいですよ!」


「はい・・・ありがとうございます。」


内心、ホッとしつつも、安斎は、「まあ、さすがに一次面接くらいは通るだろうな」と思っていた。


何しろ、私は同じ業界の世界最大手企業L&Psで5年間働いている。業界で国内5番手くらい、世界市場ではややマイナー企業である「ビーチク」にとっては、L&Ps経験者なんて評価が高いに決まっているし、しかも今回募集している職種は、海外市場向けの商品企画職で、かつ、英語と中国語の両方を話せる人材を求めている。

日英中のトリリンガルで、同じ業界の同じ職種の経験があるなんて超狭い条件を満たせるのは、たぶん、いま転職市場で私一人だ。ここまで自分にぴったりの求人で、一次面接で落ちるなんて、ほぼあり得ないと思っていたし、自信もあった。

この求人は自分でデータベース検索で見つけたものだが・・・

逆に、なぜ人材業界大手の「ピクルート」の知見とノウハウを以て、森下さんはこんな絶好の求人を見つけられず放置していたのだろうか?と疑問に思った。


きっと・・・転職エージェントっていうのは、

私のキャリアの希望を叶えるための求人を、頑張って探してくるわけじゃなくて、

エージェントが「私を使って埋めたい」求人を選んで、勧めてきているんだろうな。


なんとなく、そう思った。


次は、いよいよ最終面接か。今度こそ、決まるといいな、内定。

そんなことを考えながら、次の会議が開かれる、海外営業部・大会議室Cに向かった。

「では・・・忘年会プロジェクト、第19回ミーティングを始めます。まずは、各チーム、進捗の報告をお願いいたします」


最近は忙しくなってきたので、毎週月曜早朝の定例会議だけでなく、週に3回は忘年会の為のミーティングをしている。


「こちらの資料をご覧ください。

案A:わさび入りマカロンロシアンルーレットと、

案B:激辛カレー早食い競争の2案について、

それぞれPros/Consをまとめたのが、表12です。」


「マカロンに関しては、事前にわさびを仕込む際に、ある程度の技量が無いと歩留まりが発生する可能性があり、また、マカロンの色味によっては見た目でどれにわさびが入っているのかバレやすいというリスクもあります。

一方、激辛カレーの方ですが・・・『辛さ30倍』という最適なマテリアルを調達できそうな目途が立っているものの・・・


炊飯器を持ち込んでご飯を炊かせてもらう許可を、会場に対して確認する必要があります。この点は、今週中にはフィックスさせます」


「これは、ジャストアイディアなんですが・・・わざわざ炊飯器を持ち込んで白米を炊かなくても、『サトウのご飯』的なチンしてすぐ食べられるものを使えば、会場か近くのコンビニでレンジだけ借りれば済む話なのではないでしょうか?」


「確かに、それも一つのソリューションですね。ご飯のクオリティを下げて、フィージビリティを優先する方向で検討しましょうか・・・」


「アノ、ソノ話・・・チョット待ってクダサイ」



「アニーシュ・・・」



「カレーには、

ご飯ヨリモ、ナンが合イマス。」



「アト・・・レトルトカレーじゃ、ダメデス。マハトマ・ガンジーは、『速度ヲ上ゲルバカリガ、人生デハナイ』とイウ言葉ヲ、遺してイマス。

アニーシュが、作リマス。

最高ノ、激辛カレーと、
最高ノ、激辛ナンを・・・」



別に・・・ナンは激辛じゃなくても・・・


87日目


その日、安斎は、四半期に一度の「生販ミーティング」に出ていた。

もちろん、私は黙って聞いているだけ。20代の新人社員に、発言など許されるわけがない。


「会議」という名の、何を議論するわけでもない、何を決定するでもない、ただの「報告会」で、私は、心を無にして、時が過ぎるのを待っていた。会議時間は、3時間。ただでさえ長いのに、黙って聞いているだけの会議は余計に長く感じられ、「精神と時の部屋」のような錯覚を覚えた。

と言っても、もちろん、何の修行にもならないのだが・・・


もし、仮に、今ここにドラゴンボールが揃っていたら・・・神龍にお願いして、このポパイ電工本社ビルを、粉々破壊したい。

そんなことを考えてしまうくらい、暇だった。


しかも、立ちっぱなし。

入社3年以内の20代男子社員に、「椅子」は与えられない。植野さんは「体育会系の会社だから」と言っていたが、ちょっと何を言っているのか分からない。もはや、いじめに近い。

休憩は、無い。

まだ20分しか経っていないのに、隣にいる佐藤くんが、プルプルしだしている。

昨日も先輩たちに飲まされたのだろうか・・・顔が青白い。

頑張れ・・・耐えるんだ、佐藤くん。


パワポの総ページ数:圧巻の420枚。


「ほほう!今回は大作だねえ!400枚超えは久しぶりだ!」


「はい!明石本部長!気合と根性で作り上げました!!全員100時間以上残業しました!!」


「それは頑張ってるねえ~。さすがは高橋君のチームだ。


んじゃ、じっくり聞かせてもらおうおかなぁー」


「では、まず『概要』は省略し、47ページ目の『各国状況』から詳しくご説明をさせていただきます。」


あまりにも自然に、安斎の残業の結晶である『概要』があっさりとスルーされるが、こんなことにはもう慣れている。そもそも、こんなパワポに意味など無いのは分かっている。


ただひたすらに、


エクセルのコピペやGoogle検索で、特に何の意味もない資料を大量に作り、会議は、ただ聞いているだけ。意見も、求められない。


何も考えずに、言われたことを言われたとおりにやっているだけで、その辺の一生懸命働いてる人たちより遥かに給料は高く「ポパイ」の社名を出せば周りから尊敬され、福利厚生や、社内の設備も充実している。

考え方によっては、良い仕事なのかもしれない。

「自分を捨てる」ことさえ、できれば・・・。



その時、安斎は気づいた。


あれ・・・??


私が作った299ページ目のグラフ・・・

数字が・・・おかしい・・・!?


な、なんということだ・・・最近、「ポパ活」やら「忘年会実行委員」やら「転職活動」やら「ハンターハンター連載再開」やらで忙しすぎて・・・

仕事をかなり適当にやっていたのだが、なんと、執行役員・営業本部長に報告される重要資料の数字が、完全に間違っている

あ・・・あれーー??グラフが明らかに凹んでいる・・・スクリーンに大きく映し出されたパワポには私の担当のオーストラリアの営業実績だけ、明らかな異常値が出ている。

まずい・・・絶対突っ込まれる。

どうすれば・・・というか、私、発言権ないんだけど、答えていいのか?

後で、植野さんから説教か・・・??

も・・・、もしかして、土下座タイムか・・???


やばい・・・「ポパイ電工・命」と書いた赤いフンドシ一丁で、会社中を土下座して回らされる・・・




緊張で、心臓がバクバクした。

しかし・・・



「・・・それでは、これにて生販ミーティングを終わります。

議事録は今週末までに配信させていただきます。ご出席、ありがとうございました!!」



・・・。信じがたいことだが。。。

植野係長も、野村生販リーダーも、高橋課長も、前原部長も、明石本部長も、オンライン会議システムの向こうの海外駐在員たちも、誰一人・・・「営業実績の異常値」に気づいていなかった。

逆に、安斎は・・・

気づいてしまった。



私が新人だから、

私が20代だから、

私が平社員だから、


「ただコピペするだけの無意味な仕事」しか任せてもらえないのだと思っていたが、



違う。


この会社は・・・係長になっても、課長になっても、部長になっても、役員さえも、

ただ、出された資料を見て無意味に「うんうん」と言っているだけなのだ。



この日の出来事は、安斎にとって、決定的だった。

本当に恐ろしいのは、「フンドシ一丁」で「土下座」をすることではなかった。

本当に恐ろしいのは、この会社に長くいて、自分も「ああなってしまう」ことだった。


88日目


もはや、「怒り」とか「不満」とか、そういう感情ではなかった。

「残念」だと思った。

ポパイ電工の社員たちは、決して、頭が悪いわけではない。みんな、有名な大学を出ていて、私なんかよりよっぽど高学歴だし、海外営業部のメンバーは、ほぼ全員が流暢に英語を喋る。

英語だけでなく、外国語2ヵ国語、3ヵ国語を使いこなすトリリンガル・マルチリンガルも珍しくはないし、MBAホルダーもたくさんいる。

世界中で「ポパイ電工」の名を知らない人は、ほとんどいないだろう。日本を代表するグローバル企業の一つだ。ここにいるのは、それに見合った超優秀な人材。


間違いなく、日本トップレベルの人材が、ここにいる。

スペックだけ見れば。

その・・・揃いも揃って優秀な人たちが、こんなに、くだらない「紙芝居」のようなパワポ作りに毎日追われ、もはや、「パワポを作ること」目的化してしまっている。

ビジネスの実態なんて、どうでもよくて、見栄えの良いパワポで、饒舌なプレゼンテーションをすれば誉められ、飲み会やゴルフで、役員に気に入られることで「出世」が決まっていく。

役員に気に入られるためなら、平気で数字も誤魔化すし、仮に数字が間違っていても、誰も気がつかない。


こんなにも優秀な人たちが、こんなにも意味のない仕事をしている。

よく、日本では、良い高校に入り、良い大学に入り、良い会社に入って、「安定」を手に入れることが人生における「成功」だと言われる。


世間一般的に言えば、ここにいるのは「成功者」たちなのだろう。

できることなら、知りたくなかった。キラキラした、憧れの超一流企業の、あまりにも残念すぎる「現実」なんて。


いつかの、植野さんの言葉を思い出す。

「この会社で働けるってだけで幸せだと、あなたも思わないとダメよ?」


1年ちょっと前、ポパイ電工の内定をもらった時は、本当にうれしかった。


本当に、本当に、うれしかったんだ。ここから人生が変わる、そんな気がした。


確かに、私の人生は変わった。・・・悪い方向に。



転職には、
人生を変える力がある。



良い方向にも、

悪い方向にも。





「安斎君、忘年会の当日は・・・これを着てもらうことになった」


「・・・これは?」


「ポパイ電工の公式キャラクター『ポパイ君』だ。

これを着て、ファイヤーポパイダンスを踊ってもらう」



「ファイヤーポパイダンス・・・とは・・??」



「ポパイ電工の公式ダンスだ。YouTube動画を見て、当日までに完璧に踊れるように、きっちり練習しておいてくれ」



「・・・・はい。」


「頼んだぞ、安斎君。この仕事をやり切って、会社に貢献するんだ。忘年会で活躍して、部長や本部長に顔を売れば、君もすぐに主任に昇進するチャンスが回ってくるよ。」



「・・・・はい。」


ポパイ君の着ぐるみは、

めっちゃ臭かった。


過去、たくさんの若手社員たちが、これを着て全力で踊って、上司や役員に自分をアピールして、出世のチャンスを掴んでいった、その「汗」がしみ込んでいるのだろう。

そして、恐らくは、「自分はなぜこんなことを・・・」という「涙」も。

ポパイ電工を作り上げた創業者、故・法蓮草珍助は、この光景を見たら、一体どう思うのだろう?



89日目



「アニーーーーーーーーーーーーシュ!!!!!!」

岩下課長の怒号が、響き渡った。


「一体何度言ったら分かるんだ!?会議中にナンを食べるんじゃない!!!」


「スミマセン、ナン食べてシマイマシタ。」


あれから・・・アニーシュはカレー作りに全力を注いでいる。祖国・インドの名誉にかけて、史上最高のカレーを作ろうと言うのだ。

忘年会の激辛カレー早食い競争に使うカレーを。



そして、私たち忘年会実行委員会B班は、クイズづくりに全力を注いでいた。


課対抗★ドキドキ!全力早押しクイズの問題作成である。

「安斎、大野・・・残念ながら、先月から練りに練って作り上げたクイズ10問は・・・全部作り直しになった」

「え!?全部ですか!?」


「全部だ。」



「マネジメントレビューで、却下されたんだ。」

「そんな・・・」


「例えばだが・・・

第1問! デーデン!

中国営業課・野田課長の中学時代のあだ名は?


① 焼却炉の魔術師
② 挙動不審メガネ
③ 存在自体がセクハラ


この問題、当然、正解は③だが・・・中学時代の話とは言え、この問題は、去年の野田課長の新卒女子へのセクハラ騒動、通称「豊胸事変」を彷彿とさせてしまう!その新卒女子はもう退職しているが・・・余計な火種は、作らない方がいいとのことだ」



「では、私が提案した第5問は・・・?」



第5問! デーデン!

去年10月末のディーラー会議で、酔っ払って全裸(?)で部下と相撲を取った末に右手の指を複雑骨折してしまった、海外営業きっての
武闘派」営業課長は誰でしょう?

① 高橋課長
② 高橋課長
③ 高橋課長


これも、正解は明らかだが・・・”あの件は、なかったコトにしてください” という高橋課長本人からのクレームで却下となった」



な、なに~~~。あの「右手のぐるぐる巻きの包帯」事件、うちの部署ではみんながネタにして笑ってるから、

クイズの題材にはちょうどいいと思ったのに・・・



「し、しかし・・・では、どのような問題なら承認が降りるのでしょうか?」



「そうだな・・・例として挙げられたのは、

ポパイ電工が最初に海外に工場を作った国は?

とか、

昨年度のポパイ電工の連結売上高は?

とか、だそうだ」



・・・。


それの、何がオモロイねん?



あ・・・。つい関西弁になってしまった。

(関西の方、申し訳ありません。安斎は東北生まれです)



しかし・・・きっとこうやって、大企業の広告とか、公式ツイッターとかって、面白い企画やアイディアは全部却下されて、ピクリとも笑えない寒いものになっちゃうんだろうな・・・

なんとなく、そう思った。


しかし・・・どうすれば・・・。

これでは、忘年会の企画が・・・

いや、違う。

一体何を考えているんだ、私は。忘年会どころではない。



ビーチクの最終面接まで、あと10日しかない。

こんなことをしている場合じゃない。

最終面接では、向こうの役員も出てくるらしい。面接対策をしなければ・・・


そして・・・真剣に考えないといけない。私は、次の会社で、何をしたいのか?ビーチクに行くことで、私のキャリアは良い方向に変わるのか?

私は、ビーチクで働くことで・・・幸せになれるのか?


・・・。




「アニーーーーーーーーーーーーシュ!!!!!!」


「スミマセン、ナン食べてシマイマシタ」


本日4回目の怒号が、鳴り響いた。


90日目



その日は、ビート・チック・サタデーナイトフィーバー株式会社、通称「ビーチク」の最終面接の日だった。


面接は、夜7時から。

転職活動において、ほとんどの会社は、平日の9時~18時などの間でしか面接の日程調整をしてくれないが、ビーチクは、夜の面接の対応もしてくれる柔軟な会社だった。おかげで、私は有休を使わなくても、面接を受けることができた。

なにせ、ポパイ電工では、暗黙の了解で、男性社員は有休を取ることができない。理由は「企業戦士だから」だそうだ。

正直言って、一体何と戦う戦士なのかは、もはや全く分からないが、とにかく、転職の面接を受けようにも、ポパイ電工では「仮病」を使う以外に仕事を休む手段が存在しない。



「申し訳ありません。本日は用事があるため、お先に失礼いたします!」



なぜ、18時に定時退社するために、周りに謝らなければならないのかも全く理解はできないが、安斎は「社畜のフリ」をして、適当にやり過ごすのには徐々に慣れてきていた。

会社には、それぞれ、その会社のルールがある。

「有休」を取得できないのも、ポパイのルール。「定時退社」は恥ずべき行為であることも、ポパイのルール。定時は9時~18時なのに、毎朝7時50分までに必ず出社して8時からラジオ体操と社訓斉唱をしてから業務に入るのも、ポパイのルール。

課長報告ならパワポ100枚、部長報告ならパワポ300枚、ポパ活の審査会ならパワポ1,000枚用意するのも、ポパイのルール。

水曜日の朝には若手男子社員が、会社のビルの周りのゴミ拾いをして歩いて回り、元気よく近隣の皆様に朝のご挨拶をして、企業イメージを上げるよう努力するのも、ポパイのルール

8月の終わりには「忘年会実行委員会」がプロジェクトとして立ち上がり、若手社員たちが3カ月以上かけて、忘年会の様々な企画や催し物を準備し、社員の皆様、並びに管理職、役員の皆様に気持ちよくなってもらうよう全力を尽くすのも、ポパイのルール


ルールは、変えられない。


ルールに縛られる生活から抜け出すためには、「会社を辞める」しかない。





安斎には、高校時代からのルーティンがあった。大きな勝負に挑む日に、必ず聴くようにしているプレイリスト。

最後の曲は、B'z の「ultra soul」

自分を奮い立たせて、精神状態を整え、集中力を高める為のルーティンだった。



この状況・・・正直、夢なら覚めてほしかったが、これは夢ではない。

自分で変えなければ、

未来は変わらない。




安斎は、夜の渋谷の街を足早に、先日と同じ、ビーチクの東京本社ビルへ向かった。




受付で名前を告げて、指定された部屋に入ると・・・最終面接の面接官は、5人もいた。

先日、一次面接の面接官だった吉本さんに加え、商品企画のもう一人の課長、商品企画部の部長、人事部の部長、そして、役員のマーケティング本部長。


5対1の面接というのは・・・中途採用の面接では初めてだな。


新卒の就職活動の時には、某有名企業の最終面接で8対1という経験があって、ウソみたいな圧迫面接で、足組んで話聞いてた偉そうなオッサンに舌打ちされたのを覚えている。

こんなに多くの面接官に囲まれるのは、あの時以来だな。

自分が、少し緊張しているのを感じた。



「安斎響市と申します。本日は、お時間いただき、ありがとうございます。

よろしくお願いいたします」


「よろしくお願いいたします。では、私から質問をさせていただきます」


最初に口を開いたのは、人事部長だった。



今までの経歴。なぜ、前職のL&Psを辞めようと思ったのか。

なぜ、ポパイ電工に入社したのか。


そして、なぜ、この短期間に、ポパイ電工を辞めようと思っているのか。



「つまり・・・前職のL&Psでも、海外駐在員という新しい仕事に就いてから、たったの1年で転職活動を始めて、今回も、ポパイ電工に入社してから1年未満なのに転職活動をしている、と、そういうことなんですね?

うーん・・・」


「そうです。おっしゃる通りです。」

きっと、人事部長の立場からすると、「すぐに辞めるかもしれない人」を雇いたくはないのだろう。

当然だ。採用には、コストがかかっている。短期間に辞められては困るだろう。私の経歴は、ちょっと採用を躊躇したくなる「ジョブホッパー」のように見えるに違いない。


見える・・・というか、実際に、私は「ジョブホッパー」になろうとしている。27歳で3社目なんて、「ジョブホッパー」としか言いようがない。

言い逃れができない状況から、逃げようとしても仕方がない。



「正直に申し上げますが、私は、性格的に、納得のいかない事を、納得のいかないまま放置することはできません。

もちろん、良い会社なら長く働きたいとは思いますが、自分の考えと明らかに合わない会社であれば、5年も10年も我慢していようとは思いません。

今日、御社の面接に来たのは、今いるTKG業界よりも、前にいたオパンティー業界の方が個人的な適性があったと感じているのと、ビート・チック・サタデーナイトフィーバー株式会社であれば、自分の海外営業や商品企画の実務経験や、英語・中国語などの専門性を生かして、長期的に貢献していける可能性が高いと考えたからです」


人事部長に、媚は、売らない。

この会社に転職したとしても、この会社の「社畜」になるつもりはない。

2回目の転職なんだ。

ここで、また自分に合わない会社に入ってしまったら、ポパイ電工にいるのと同じで、何も意味がない。

正直に自分の考えを言って、それが原因で落とされるなら、仕方がない。「どこでもいいから転職したい」わけではないのだから。


「フフフ・・・面白い人だね。

私からも、少し質問していいかな?」




真ん中の席に座っている「役員」、マーケティング本部長が、

真っすぐに、私の目を見据えていた。



91日目



「実を言うとね・・・

私も、元L&Psの社員なんだ。」



ビート・チック・サタデーナイトフィーバー株式会社の最終面接。5人の面接官の中で、真ん中に座っている、一番偉いのであろう「役員」の西園寺マーケティング本部長は、こう切り出した。


なんという、不思議な縁だろう。

まあ、同じオパンティー業界だし、私の前職である株式会社L&Ps(ラブアンドパンティーズ)は世界最大手で、日本国内だけで1万人以上の社員がいることを考えると、業界内で「ビーチク」に移ってきた人がいてもおかしくはないが・・・

まさか、転職の面接を受けに来た会社で、最終面接の意思決定者が、自分の前の会社の人とは・・・



「私はね、L&Ps時代はずっとチチバンド事業部にいて、ヨーロッパ数か国に駐在した後、L&Psが買収したドイツの『JSB(ジェイソウルブラジャーズ)』で社長をやっていたんだ。

3年前にL&Psを定年退職して、それから、この『ビーチク』にお世話になっていてね」



確かに、「西園寺さん」という名前は聞いたことがある。私が地方営業所での下積みを終えて、L&Psの本社に配属されたときは、既にドイツに行っていて、直接お会いするのはこれが始めてだが・・・


「お会いできて光栄です。『西園寺さん』というお名前は耳にした覚えがあります。今は『ビーチク』にいらっしゃったんですね」


まあ、いわゆる「天下り」という奴だろう。


実は政治家の世界だけでなく、民間企業でも業界によっては「天下り」みたいなものが横行していて、最大手企業「L&Ps」を定年退職したお偉いさんが、業界内の他の企業で「役員」「相談役」として定年後のセカンドキャリアを得るというのは、特に珍しい話というわけでもない。

60歳で定年退職したって、ジジイ達はまだまだ元気だし、業界のコネとか、最大手企業のノウハウがあれば、再就職してオイシイ思いをすることはできるのである。

なんだかんだ言っても、結局は「大企業の看板」が強いんだよな。

そんなことを、「L&Ps」よりも遥かに大規模で超大手企業である「ポパイ電工」を辞めて、言ってしまえば中小企業である「ビーチク」に移ろうかどうか、という面接を受けている時になって思う。


「なるほどね、君は鈴木チルドレンの一人か。鈴木女史は、私もよく知っているよ。」


鈴木さんとは、私のL&Ps本社時代の上司だ。

こんなにも社内の話が通じてしまうとは・・・これは有利なのか?不利なのか?

正直言って、よく分からなかった。


同じ会社出身ということで贔屓目に見られるのか・・・

それとも、その逆なのか・・・


「それでね、安斎さん。ある意味、狭いオパンティー業界から、TKG業界というメジャーな世界に行った後、あなたは、またオパンティー業界に戻ってこようとしている。

しかも、この『ビーチク』は、L&Psほど事業範囲も広くない。オパンティー業界の中でも更に、トランス系のオパンティーに特化した会社だ。

そこに懸念は無いのかい?

この『ビーチク』で、どんな仕事をしたいと思っているんだい?


たぶん、この質問で、採用 or 不採用 が決まるんだろうな。

なんとなく思った。



「私は・・・『ビーチク』の商品企画職として、よりお客様に近い仕事がしたいと考えています。

いま、私がいるポパイ電工では、お客様の顔も見ずに、商品の実物に触れることもなく、ただエクセルとパワポで数字の分析をするのが仕事になってしまっています。これは、恐らく、『大企業の弊害』です。

より小さな規模の会社だからこそ、狭い領域に集中した会社だからこそ、できる仕事もあるはずです。

特に・・・今の『ビーチク』は、業務用オパンティーには定評があり、プロからも愛される商品作りができている一方で、BtoCの一般消費者向けのオパンティーに関しては、最大手L&Psや、外資系競合他社のラビリンスやドーパミンに完全に負けています。


私は、L&Psでの海外市場向けBtoC商品企画の経験を生かして、

『ビーチク』を・・・本当の意味で、『消費者から愛される』オパンティーブランドにしていきたい。

そう、考えています。だから、今日、ここに来ました」



西園寺さんは、ニッコリと笑って、また私の顔を見た。


「私からの質問は、以上です」




「では・・・皆さん、よろしいですかね?

安斎さん、本日はありがとうございました。

結果は、できる限り早く、エージェント経由でご連絡できるようにいたします」



「はい。本日は、夜遅い時間にも関わらず、多くの方にお時間を頂戴し、本当にありがとうございました。

またお会いできますことを、楽しみにしております。では、失礼いたします。」



清々しい気分だった。


最終面接を「やりきった」という思いがあった。



帰り道、安斎は一人でバーに入り、自分に「お疲れ様」を言った。





※お詫び

せっかくのシリアスな回が、パンティーだらけの文章になってしまい、大変申し訳ございません。

「オパンティー業界」とは架空の業界であり、「下着業界」のことではありません。同様に、「TKG業界」も架空の業界です。名称に特に意味はありませんが、安斎はパンティーがかなり好きです。


・・・あと9日。もう少しの間、最終回までお付き合いください。




92日目



あれから、二週間以上が経った。ビーチクからの返事は、来ていない。転職エージェント「ピクルートエージェント」経由で、できるだけ早く、結果を連絡するとは言っていたが・・・

やはり・・・ダメだったのだろうか。

いや、ほかの候補者もいるのだろうから、何人か比べるために、同時に最終面接に進んだ候補者の選考が全て終わってから、最終的に判断するとすれば、きっと時間もかかるはず。


ああ、

こんなことを憶測で考えても、意味などないというのに。



色々な考えが、頭の中を回る。


最終面接が終わっている以上、もう、いくら考えても自分の力では「合否」は変わらない。気持ちを切り替えて、今は黙って待つしかないし、不安になったところで、時間の無駄でしかないのに。。。

ついスマホが気になって、メールの受信ボックスをチェックしてしまう。


いつも、こうだ。


面接が終わった後、合否連絡が来るまでの間は、まるで、中学時代に初恋の彼女からメールの返信が来なくて待ち遠しかった時のように、居ても立っても居られなくなる。




「キョーイチサン、元気がナイデスネ。

ナン・・・食べマスカ??」



「アニーシュ・・・ありがとう。

でも・・・ナンは大丈夫です



忘年会の準備も、いよいよ大詰めだ。

当日まで、あと一か月を切った。



「例の、あの件はどうなってる!?

ああ!そうだ!ゲストにグラビアアイドルを呼ぶ話だ!神永統括事業本部長のお好みは、ムチムチ爆乳系だからな!

12月だからな・・・サンタコスプレだぞ!!


事前に必ず面接して、本当に可愛いかどうか確かめろ!!去年は写真と全然違うババアが来たからな。気をつけろよ・・・

金はいくらでもかけていい!!毎年、忘年会の予算は無制限だ。

ただし・・・
失敗だけは許されないぞ。

出世がかかってるからな・・・いいな!!」



「ハイッ!!!」



「あと・・・例の『メインステージの宴会芸』はどうなってる!?」



「はい! 今年の宴会芸ネタと言えば、若手お笑い芸人の『天丼&親子丼バカンス』が鉄板です!

これを赤いサンタトナカイの姿でやるべく、相葉と櫻井が、日々練習を重ね、キレッキレに仕上げてきています!」


相葉先輩と、櫻井先輩が、3週間前から磨き上げてきた、完コピ芸であった。



・・・。

そんなもの、
誰が見たいんだ!!??



何度言ったら分かるんだ?

若手女子社員がAKBの衣装で歌って踊り、若手男子社員がフルチンにネクタイ姿で全力のオタ芸!!

これだろ!!!



「そ、それが・・・最近の若い社員は・・・『忘年会とか、ダルイっす』『それ、セクハラですよ』などと言って、非協力的で・・・

AKBの方も、フルチンオタ芸部隊の方も、なかなか人が集まらず・・・」

ええい!!何をバカなことを!!そいつら全員、今期の人事評価は『Dマイナス』だ!!これは『有志による宴会芸』ではない!!『強制的宴会芸』だ!!

俺たちも若いころ、散々やらされてきたんだよ!!業務命令だから絶対に断れないと伝えろ!!それでも拒否するようなら、今すぐに地方の工場に飛ばしてやる!!


お前ら、いいか。

目の前の仕事に本気で取り組めない奴は、何をやってもダメだ!!!


だから、最近の若手は弱っちくて、すぐに仕事の負荷に耐えられなくなって辞めていくんだ!

・・・根性なし共がッ!!!




・・・。なるほど。

こうやってポパイ電工では、新卒の若手が毎年どんどん辞めていって・・・雇っても雇っても若手が減り続けて、オッサンばかりになってしまうから、私のように、「中途採用」で20代の社員を補充しているのか・・・


きっと、辞めていった人たちは、「仕事の負荷」に耐えられなくなったんじゃない。


「ポパイ電工の文化」に、耐えられなくなったんだ。


そして・・・

私も・・・。



忘年会実行委員会という「目の前の仕事」よりも、「自分自身の将来とキャリア」に、本気で取り組もうとした結果が、「転職」という選択肢だった。

安斎は、またスマホを見た。

転職エージェントからのメールは、届いていなかった。


93日目



「皆サン・・・
見テクダサイ。ツイに完成シマシタ。」



アニーシュが、意気揚々と会議室に入ってきた。


「最高のカレーと、最高のナンデス。


アトハ、最高のマンゴーラッシーを・・・」


アニーシュは、一体何を目指しているのだろう?



彼のように、「目の前の仕事」をひたむきに頑張れたのなら、私も、少しはポパイの仕事を好きになれたのだろうか・・・。

いや・・・
私は何を言っているんだ


この仕事の、一体何が「海外営業」なんだ。一体何が「グローバル企業」なんだ。

こんなことを頑張っても・・・仕方がないじゃないか。




「来週の部長会議の報告資料は・・・進捗どうなってる!?」


「はい。現在、報告用のパワポをファイナライズしているところです。15ページ~67ページにわたり、各余興のサマリーと、期待できるインパクト、メンバー表や余興組織体制などのご説明、そして、68ページ以降には、会場の下見班による下見レポート、二次会のカラオケと、三次会のキャバクラの手配状況も記載しております」


「キャバクラの・・・次は?」


「オッパブです。四次会はオッパブを想定しています。オッパブは、コミュニケーションですから!


「よし・・・頼んだぞ。来週の部長会議の後、部長・課長全員の承認のハンコを以て、プロジェクトを最終フェーズに移行できるんだ。みんな、絶対、このプロジェクト成功させるぞ!!」


「ハイッ!!!!」



「アノ・・・アニーシュ作った、最高のカレーと、最高のナンの『部長承認』ハ・・・」



「うるせぇ!お前は黙ってろ!」





・・・。

かわいそうに・・・。アニーシュ。



執行役員・神永統括本部長の「ムハハハ、分かるかね岩下君、ダイバーシティだよ、ダイバーシティ。忘年会幹事メンバーに、この前入ったインド人の彼を入れておきなさい。ダイバーシティの促進なのだよ」という気まぐれな一言により、なぜか昭和の香り100%の忘年会実行委員会に入らされたものの、社畜の極みであるメンバーたちとは温度差があり過ぎて、ほぼ相手にされていない・・・




「アニーシュ、なぜ、君はそんなに頑張れるんだい?」



「安斎サン・・・インド独立ノ父、マハトマ・ガンジーは、言イマシタ。

『重要ナノハ行為ソノモノでアッテ、結果デハナイ。正シイと信ズルコトを行イナサイ。結果ガどう出ルにセヨ、何モシナケレバ何の結果モ無イノダ。』、ト」



「アニーシュ・・・」




"正しいと信ずること" か・・・。

私がいま「正しい行い」だと信じているのは、一刻も早く、この会社を辞めることだ。

結果が出るにせよ、出ないにせよ・・・私は、こんな忘年会の余興に全身全霊を注ぐ会社に、いつまでも留まるわけにはいかない。ポパイ電工で、このまま長期的にキャリアを積んで、将来、あんな40代、50代になりたいとは、とても思えない・・・。





その時・・・電話が鳴った。

ピクルートエージェントの、森下さんからだった。


心臓がドキッとした。




「安斎さん、内定です。」




・・・。

その後の会話は、正直、あまり覚えていない。

条件面談がどうとか、オファーレターの承諾期限だとか何とか・・・



とにかく、ついに・・・内定が出た。

どうやら、「ビーチク」が提示してきた年収オファーは、今の私のポパイ電工の年収よりも、少し低いらしい。しかも・・・中小企業である「ビーチク」には、ポパイ電工のような手厚い福利厚生が無いため、月5万円以上出ていた住宅手当が無くなる。

そんなことも・・・もはやどうでもいいと思えるくらい、安斎は、もう「ポパイ電工」にいるのは限界で、早く次のステージへ旅立ちたかった。



27歳で3社目の会社へ。

これで、私は、ジョブホッパーだ。



超大手優良企業「ポパイ電工」を辞めて、自分のキャリアが今後どうなっていくのか、もう、まったく分からなかったが、このままずっとポパイにいることは、できなかった。

仕事の内容は、アルバイトでも誰でもできる「雑用」ばかり。

将来、すべて機械でもできるようになりそうな、エクセルの「単純作業」

会議のための会議。

資料のための資料。

そして、出世の明暗を分けるのは、社内接待飲み会


ポパイ電工で、こんな無駄なことをやっていても、自分のキャリアが死んでいくだけだ。



安斎は、アニーシュが教えてくれた、「ガンジーの言葉」を思い出していた。


重要なのは
行為そのものであって、
結果ではない。


正しいと信ずることを
行いなさい。


結果がどう出るにせよ、

何もしなければ
何の結果も無いのだ。



もしかしたら・・・もう少し転職活動を続ければ、ビーチクよりも良い会社が見つかるのかも・・・

そんな考えも、頭をよぎったが、


安斎は、最後は、自分の「この道は正しい」という直感を信じた。


お酒の席での接待や、社畜のような忠誠心ではなく、業界経験や、英語・中国語など、自分の「能力」を必要としてくれている会社で、働きたかった。


94日目



20XX年12月7日。月曜日。ポパイ電工グローバル本社・海外営業部、忘年会当日。

なぜ月曜日に、わざわざ「忘年会」をやるのかって?

もちろん、「大安だから」さ。




場所は、六本木最大級のナイトクラブと呼ばれる「ミステリアスV」。ワンフロア、すべて貸し切り。


クリスタルのシャンデリアと、ライトアップされた東京タワーの夜景。「バブル末期」を感じさせる、無駄にゴージャスな内装。

そこに集う、昭和の企業戦士たち

この今夜の会場代だけで、200万円を超える。いかにポパイ電工という会社が、「忘年会」というプロジェクトを重要視しているかが、感じられるだろう。

ゲストは、神永統括本部長のお好みの「グラビアアイドル」と、まあまあ売れている某大手事務所「お笑い芸人」だ。事務所は通していないので、「闇営業」ということにはなる。


ポパイ電工には、こういう「闇」が所々にある・・・


なぜか無制限に使い放題の「タクシーチケット」。

なぜか経費精算できてしまう「キャバクラ」や「風俗」の代金。

「ポパイ電工の社員しか入れない」という、赤坂にある「会員制」のキャバクラで行われる「役員会議」。

数千万円単位の横領が見つかっても、クビにはならず子会社で「部長」として働き続けている中年社員、

パワハラで失踪した新卒1年目の「新入社員」がいたとか、いないとか・・・


都市伝説のような、ウソか本当か分からない話が、オジサンたちの欲望と共に、渦巻いている。


そして・・・その「すべての闇」を吹き飛ばす、狂宴の宴。




ここは魔窟。

ポパイ電工株式会社。



「レディーーース、エーンド、ジェントルメーーーン!!

さあ、さあ!!今年もやってまいりました!!海外営業部!!22F フロア忘年会!!


忘!!

年!!

会!!!!



「総合司会はわたくし、トミー岩下でございます!!

それではぁぁぁぁぁぁぁぁあ!!!早速ですが!!

神永統括本部長より!!乾杯のご挨拶を頂戴したいと思います!!


では、神永統括本部長!よろしくお願いいたしまぁぁぁぁぁす!!!」




「ふむ。ムハハハハハハ、いや~、じゃあ、ちょっと喋らせてもらおっかなっと。

えー、『スピーチとスカートは短いに越したことはない』と言いますが・・・」



ドッ!!

ワハハ!!!




・・・。



お分かりいただけただろうか。


200人を超える社員、全員が大爆笑である。

もちろん、誰も「面白い」などとは思っていない。


仕事なのだ。


「ヨッ!!統括本部長!!」


「さすがっ!!」


「すっ!すごい!!!」


「カッコいいです~~!!」



仕事なのだ。

これが。

六本木の真ん中で、東京タワーの夜景が見えるガラス張りのパーティールームで、200人を超えるサラリーマンたちが・・・「仕事」をしていた。


クイズ大会の途中で、問題に紛れて出てくる「部長の若いころの写真」に、

「うわ!すごいイケメン!!!」

「芸能人みたい!!」

と、わざとらしい反応をしたり・・・



「カラオケ★イントロドン!!」では、イントロクイズで正解が分かった人が早押しでマイクを獲得し、ワンフレーズ歌い切った人に点数が入る、という「設定」で、

しっかり統括本部長や本部長など役員の皆様のカラオケの十八番が選曲されており、役員の皆様以外には絶対に誰も「早押し」などはせず、マイクを手に取り自信満々に歌う、神永統括本部長や、明石本部長、島袋本部長らの、カスっカスの歌声に、


「カッコいい~~!!」

「やば!!プロの歌手ですかー!?」


と、心にもない声援を送る。


これが、ポパイ電工の「仕事」だった。


その日のクレイジーな宴のこと、あまり、細かい部分は覚えていないが・・・


その日、安斎は、「ポパイ電工を辞めて、ビート・チック・サタデーナイトフィーバー株式会社に転職する」という道が、自分にとって最善であることを、強く確信した。



「・・・二次会、行かないの?安斎君、幹事の仕事、頑張ってたじゃん!


二次会のカラオケで本部長にアピールするチャンスだよ!!行こうよ!」




「いいえ。私は結構です。」



一次会会場の片づけが終わった後、二次会には合流せず、安斎は一人で、その場を立ち去った。

ポパイ電工に「サヨナラ」を言うタイミングが、もうそこまで来ていた。



95日目


「・・・出したよ。退職届。」

「そうか・・・」


品川駅近くのスペイン料理屋「飛べない豚はただの豚」のカウンター席で、私は、いつものビールを飲んでいた。



「とにかく、乾杯。転職おめでとう。安斎」


隣に座っているのは、ロンドンから帰ってきたばかりの深田だった。



「深田も、お疲れ様。半年間のロンドン生活。ぶっちゃけ、どうだった?

中途入社1年目で海外トレーニーって、すごい大抜擢だったと思うけど」




「・・・うん」


深田は、少しうつむいて、悲しそうな声で答えた。


「正直さ・・・日本の本社でも、海外現地法人でも、やってることはほとんど同じだった。

意味のない資料作りと、キャバクラと風俗接待」


「え?ロンドンってキャバクラあんの?」


「それが、あるんだよ。全然イメージ無かったけどな。ロンドンみたいに、日本人駐在員が多くて『日本人街』みたいな場所がある都市だと、だいたい日本人の駐在員とか出張者向けのキャバクラがあるらしい。

まんま、日本のキャバクラそのものだったよ。女の子も全員日本人だし。

日本からワーホリみたいな気分で来てるフリーターの女の子だったり、留学中の日本人女子大生が学校通いながら遊ぶ金稼ぐためにやってたり、みたいな感じ」



「なるほどな。確かに、上海もそんな感じだったよ。

留学生か・・・俺も深田も海外留学組だけどさ・・・

まさか、海外留学中に勉強するでも現地で外国人と交流するでもなく、キャバクラで働いて、日本から出張で来たオッサン達の相手してるなんて、クソ高い留学費用出してる親が聞いたら泣くぞ。。。」



「まあな・・・キャバクラならまだしも、現地で日本人向け風俗で働いてる留学生も、たくさんいたからな。

闇だよ、闇。

ポパイ電工は、毎週毎週、次々に出張者が来て、そういうキャバクラや風俗にお金落としてるから、いいお客さんだよね。


だからさ・・・正直、俺はロンドンでは、あまり多くは学べなかった。

はぁ・・・安斎が、うらやましいよ。俺も少ししたら、転職活動始めるつもり」



「まあ、そう落ち込むなよ。ロンドン現地で短期駐在してたっていう経歴は、履歴書上は役に立つって。ポパイ電工の看板もあるしな。

俺は・・・これで完全にジョブホッパーの仲間入りだよ。この前、母親に電話で伝えたら、『20代で3社目なんて・・・』って泣かれちゃってさ。うちのオヤジなんて、激怒して口もきいてくれないんだぜ?

俺の人生なんだから、好きにさせてくれって思うけどなー。笑」



「まあ、なんたって、天下のポパイ電工だからな。外から見たら、俺たちの方がオカシイんだろうな、きっと。


ところで・・・

退職届出して、社内の周りの反応はどうだった?」




「いや・・・それが、最初に植野さんに言ったらさ・・・

『あなた・・・一体何を考えて、この会社に入ったの!?

ポパイ電工に人生を捧げるつもりじゃなかったの!?

海外駐在員になって、グローバルポパイマンを目指すって言ってたわよね!?』

みたいな感じで、ガチギレだったね・・・。」



「ああ、『破壊神』植野ね!あの人、有名だよな!お前ほんと運ないよな~、あの人の下なんて、ポパイの海外営業部の中でも特に最悪だろ」



「まあ・・な・・・。
たぶん根は悪い人じゃないんだけどな。

ポパイのパワハラ文化に染まり切っちゃってるのと、もう新人イジメが仕事だと思っちゃってる感じかな。って言っても。。。

植野さんに怒られたところで、別にどうってことなくてさ。

俺、この会社に来てさ・・・

『プレッシャーって人生において必要なんだな』って、思ったんだよね。

ポパイ電工で仕事をしてても、仕事での失敗って『単純作業をミスる』とか、『資料の見栄えが部長のお気に召さなかった』とか、『飲み会の店のチョイスが微妙で先輩に怒られる』とか、そんなんだろ?


自分がミスしたって、世の中に対して、お客さんに対して、な~~んの影響も無いんだ。

俺はさ、ちゃんと、『意味のある仕事』がしたい。


言われたことを言われたとおりにやってペコペコしてるだけで、大企業勤務のステータスと、日本トップレベルの待遇が手に入るなら、こんなに楽チンなことは無いけど・・・20代で『楽をしたい』なんて思ったら、終わりだなって。

プレッシャーと達成感のない仕事って、ただの暇つぶしと同じだよな



「いや、”おっしゃる通り”だよ。安斎。この会社、言っちゃえば仕事は楽だし、間違いなく、待遇は良い。

仕事はつまらないもの!って割り切って「社畜」になりきっちゃえば、ある意味『良い会社』なんだと思うよ。

でもさ、俺たちの場合は、否が応でも5年間働いた『前職』と比べちゃうからな。物足りないんだよなー。一言でいえば。意味が無い会議を、意味が無いのも分かった上でやってて、膨大な資料作りして・・・まあ、でも『意味が無いからこの仕事やめよう!』ってなったら社員大量にクビにしないといけないからな。笑」



「深田・・・

お前、”おっしゃる通り”って口癖だよな?」



「な、なんだよ!

いいだろ!?”おっしゃる通り”は、相手を全面肯定して気持ちよくさせる『魔法の言葉』なんだぞ!!」



「・・・。

『社畜』だな・・・



「うるせぇ!!」




安斎と、深田。2人は共に、これから何度か転職し、「ジョブホッパー」と呼ばれるようになる。



私は、同世代の友人知人で、深田ほど優秀な奴を知らない。

彼と出会えたというだけでも、私の人生において、ポパイ電工に入社した意味はあったのだと、今となっては、そう思いたい。



96日目


ポパイ電工に「退職届」を出し、最終出社日まで、あと10日。

ここで、信じられないことが起こる。


同じチームの同僚数人から、無視されるようになったのだ。



何ということだ・・・

学校か、ここは?


植野さんも、「退職」を告げたあの日以来・・・

話しかけても、無視。質問をしても、無視。朝あいさつをしても、無視



えーー。

こんなこと、ある??

別に、喋りたくて話かけてるんじゃねーよ・・・

仕事だよ・・・



前職のL&Psを退職する時も、私のことを「裏切者」だとか、「会社に恩を返さずに辞めるなんて・・・」と言う人はいたが・・・

ほとんどの人は、笑顔と握手で送り出してくれたし、送別会もしてくれたし、寄せ書きの色紙ももらった。

ポパイ電工は、去る者は追わないが、去る者を徹底的に痛めつけてタコ殴りにする会社だった。

まさか・・・

社会人になって「周りから無視される」ことがあるとは・・・

実はそれだけでなく・・・引継ぎもだいたい終わり、自分が退職前にやるべき業務をほぼすべて片付けたので、社員食堂の横のカフェにコーヒーを買いに行くと、

その間に、誰かが課長に「安斎さんが仕事サボってます」と告げ口をしたらしく、課長に個室に呼ばれて、「周りから仕事をサボっていると言われてるぞ。気をつけろよ」と怒られたりもした。


えーー。

こんなこと、ある??


仕事全部終わってんだから、コーヒーくらい飲んだってよくない・・・??

というか、私、あと数日で辞めるんだし、仮にサボってたとしても、わざわざ怒らなくてよくない・・・??



何これ?

・・・いじめ?



まさか・・・会社を辞めることが決まった後に、「会社の嫌な部分」を新たに発見してしまうとは・・・


私が担当していたオセアニア地域の、オーストラリア現地法人の駐在員で、日々一緒に仕事をしていた新田さんからは、「残念です。もう少し続けていれば仕事も楽しくなってきただろうに・・・」と言われ、

ニュージーランド現地法人の社長の加藤さんからは、「石の上にも三年だ!!」と電話でお説教をされた。


もう・・・仕方がないんだろうな、と思った。


この会社は、私には合わない。


近藤先輩は、結局、私が本社配属初日の夜に、先輩たちの「オッパブ」についていかなかったことを1年以上ずっと根に持っていて、私には初日から退職するまで、ずっと冷たかった。

たぶん、この会社の中では、私が「オカシイ」のだろう。

接待にも付き合わない、

資料を簡潔にまとめようとする、

「この会議、意味あります?」と平気で言ってしまう、

上司や部長や役員をヨイショしてペコペコしない、

できるだけ残業もしない。

こんなやつ、ポパイ電工には必要ないのだ。


そして・・・

私にも「ポパイ電工」というキャリアは、必要なかった。

お互いに相容れない存在。理解されなくても、仕方がない。



高橋課長とは、何度か話をした。



「安斎さんさぁ、うちの会社、合わなかったかい?」


「・・・・。正直、私には無理でした。この社風には、ついていけないっす」



「そうか・・・
そうかな~、すごく良い会社だと思うんだけどな~」



高橋課長。

接待の席、「役員の指示」で、同僚と取引先のお客様、数十人の前で、フルチンで部下と相撲を取って利き手を複雑骨折した後でさえも、ポパイ電工を「良い会社」と言い切ってしまう、この上司のことは、もう、どうやっても理解できる気がしなかった。


配属初日、「上司の右手のぐるぐる巻きの包帯」に感じた、あの日の違和感と、漠然とした不安は、

「社歴1年で退職」という形で、安斎の元に帰ってきたのであった。



97日目


その日は、金曜日だった。

20XX年12月25日。クリスマス。

恋人たちが寄り添う聖なる日、安斎は、会社を去った。


ポパイ電工株式会社
TKG事業統括本部 海外営業部
アジア&パシフィック営業課

オセアニア地域担当営業
安斎 響市

としての「最終出社日」だった。



そう・・・実は安斎は「営業職」だったのだ。

営業らしいことは一切何もしていないし、この一年、社外の人には誰一人会っていない。


名刺交換をしたのも、社内の他の部署の人とだけだ。


これで、世間体は「大手超有名企業の海外営業職」なのだから、もはや営業って何だっけ?という感想だ。


真面目に働いている「営業職」の人たちに怒られそうである。


実はその人たちより、大手企業でパワポ作ってるだけの「なんちゃって営業」の私の方が給料が高いっていうのが、この世の中のバグなのだが・・・




12月25日。

実は、この日はちょうど、ポパイ電工は年末最後の営業日だった。そう、大手メーカーは正月休みが非常に長いのである。

社内では、若手新人たちが、先輩たち一人ひとりの机を回り、


「本年も、ご指導ご鞭撻ありがとうございました。

大変お世話になりました。今の私があるのは、すべて先輩のおかげです。来年も、どうぞよろしくお願いいたします」


と年末のご挨拶をしていた。




「黒田君・・・ちょっと。」


「はい、佐藤さん」


「黒田君、あのね。年末年始は、絶対にPC持ち帰らないとダメだよ。

君の勉強のための資料一式、フォルダに入れといたから、全部、年末年始休暇の間に読んでおいて、できれば、自分の考えをパワポにまとめておいた方がいいよ。ここで頑張るかどうかで、休み明け、同期と差がつくから


「・・・!!

佐藤さん・・!!ありがとうございます!!!」


「・・・(いいってことよ)。頑張ってね!黒田君!」


なんと・・・あの佐藤くんが、「先輩風」を吹かせていた。

いつも植野さんにイジメられてばかりの、あの佐藤くんが・・・新人に、自分が先輩にされたのと同じことをしている。



ポパイ電工では、新卒の新入社員は入社後、6~8カ月程度の工場実習に配置され、マンスリー契約のアパートに住み、埼玉、茨城、宮城、岩手、静岡、山口、熊本、鹿児島などにある地方の工場で、「毎日ひたすら生産ラインを回す」という経験をする。

会社の状況によっては8カ月よりも長い期間に延長されることもある。


4月入社から8カ月・・・ちょうど12月には新卒1年目の新人が、工場実習を終えて「本配属」となるのだが、ここで待っているのが、先輩たちからの洗礼だ。


佐藤くんは、ただ自分が先輩たちから受け取ったものを、次の世代に渡しているだけだから、彼に罪は無いのかもしれない。

きっと、この会社は、永遠に、この「伝統」を繰り返すのだろう。


黒田君も、可哀想だ。ポパイ電工は超一流企業、半端な経歴では入れない。

二ツ橋大学の法学部卒、海外留学経験あり、という経歴なのに、社会人になってから8カ月の間、熊本の工場に飛ばされ、高卒フリーターの期間労働者と全く同じ仕事をしていただけだ。

同期に差をつけるとかどうとか言う前に、社会人として、明らかに同世代の他社の若手に「圧倒的な差」をつけられてしまっている。


が、

そんなことには、気が付かない。


黒田君も、佐藤くんも。


「ポパイ電工」しか知らない人にとっては、

「ポパイ電工」が「社会」であり、「ポパイ電工の常識」が「世界の常識」になるんだ。




でも・・・

そんなことも、もう、どうでもいい。


今日で私は、この会社を去る。

ポパイ電工を、辞める。




・・・。


何もかもが無駄だったとは言わない。

何の意味もない1年だったとは言わない。


言わないけれど・・・やはり、私には、この会社は「合わなかった」。



別に、ポパイが会社として「クソだ」とか「終わってる」とか言うつもりはない。

私には、「合わなかった」だけだ。





「安斎サン・・・コレ・・・

クリスマスプレゼント、デス」




「アニーシュ・・・

ありがとう。本当にありがとう。君には救われた。


・・・これは?」




「プレゼント、デス。ナン、デス



「あ・・・

ありがとう。。。」




「安斎サン・・・お元気デ。

アニーシュは、イツモ安斎サンを応援シテイマス」


安斎に優しい言葉をかけてくれるのは、アニーシュだけだった。


さすがの植野さんも、最終日は「無視」ではなく、「次の会社で、頑張りなさいよ」と言ってくれたが、

続けて、

ポパイ電工を辞めたこと、きっと後悔することになると思うけど、失敗を受け入れて頑張るのよ。絶対に絶対に、次の会社で『最後の転職』にしないと、転職を繰り返すなんて『恥』なんだからね

と言われた。

この人とは一生分かり合えないな、と思った。

まあ、二度と会うことも無いわけだが・・・


こうして、安斎は「ポパイ電工株式会社」を、たったの1年ほどで退職した。



夜の街は、クリスマスに彩られていた。


いつもの帰り道も、クリスマスのせいなのか、仕事を辞めたせいなのか、なんだか違う風景に見えた。



少しだけ、ほんの少しだけ、寂しさを感じながら、安斎は、家路につくのであった。




98日目



「安斎君・・・!!新しいプロジェクトよ。

その名も、コードネーム『ポパロングゼロ』!VR技術による最新の新人研修プログラムで・・・」





・・はっ!!!


夢か。



安斎は、ベッドの上で目を覚ました。

年末年始の休暇と、次の会社ビート・チック・サタデーナイトフィーバー株式会社の入社日までの間、少し時間ができたので、妻と愛犬と一緒に、箱根の温泉に、小旅行に来ていた。




「どうしたの?悪い夢でも見た・・・??」


「あ・・・うん・・大丈夫」



まさに・・・この1年間は「悪夢」のようだった。


本当に、本当に、ポパイ電工ではたくさんのことがあった。



「分かるよな。次回は頼むぞ。ほんとに。

オッパブはコミュニケーションだからな!!」



「全ての仕事は・・・
飲み会に通じるからね」




「私たちは、昭和から続く、この由緒正しきポパイ電工の企業戦士なの。

土日以外に有休を取って休もうなんて、虫が良すぎるわよね?」




「私の人生、毎日がポパイ色なのよ。

この会社で働けるってだけで幸せだと、あなたも思わないとダメよ?」




「ポパイに人生、捧げます!」

「ポパイに人生、捧げます!」



「こちらの資料をご覧ください。

案A:わさび入りマカロンロシアンルーレットと、案B:激辛カレー早食い競争の2案について、

それぞれPros/Consをまとめたのが、表12です」




「オオオオオオイイぃぃぃぃいいいい!!!

さっさと、めくれ!!パワポをめくるんだよぉぉぉぉ!!!!!!」





・・・。

おっと。

最後のやつ、こんなシーンは無かった。



つまり、書き切れなかったことも、実はたくさんある。

残りの幾つかのエピソードは、番外編にでも、いつかまた書こうと思う。



1年と少し前・・・前職L&Psを辞めて、ポパイ電工への入社を決めた時は、まさか、こんな事になるとは思いもしなかった。



でも・・・ある意味、彼は変わっていなかった。




前職L&Psを辞めた理由も、「会社と共に生きる」ことよりも、「自分の好きな人生を生きる」ことを取ったからだった。



いや・・・今となっては、私の「前職」はポパイ電工で、L&Psは「前々職」か・・・。





周りの友人や、L&Psの元同僚たちは、

「安斎はクレイジーだ」

「考え方が外人。頭おかしいだろ」

「ポパイ電工なんて完全に勝ち組だったのに、もったいない・・・」


と口々に言っていたが・・・


実は、少しホッとしている自分もいた。




良かった。


もともと、就活でリクルートスーツを着て、量産型の「就活生」になりきって、大企業でマナー研修や営業研修を叩き込まれて、先輩たちにペコペコして、同期と横並びで出世して・・・

みたいな、「普通のサラリーマン」でいるのが嫌だった。



「周りの目を気にして生きている自分」が嫌いだった。



20代で2回も大手有名企業を辞めて、ついに、私はもう「普通のサラリーマン」ではなくなった。こんなバカな奴は、そうそういない。


色々な不安はあったし、「ジョブホッパー」なんて、世間体は最悪だけど・・・

他の誰かの真似をするでもなく、

長いものに巻かれるでもなく、

大企業の看板にしがみつくでもなく、


周りを気にして無難な道を選ぶでもなく、

私は、間違いなく、自分自身の人生を生きている。


それだけで、今は、十分だった。




妻は、「はぁぁぁ~、また引っ越しか~~」と、ウンザリした様子ではあったが、私の「転職」には、反対しなかった。



「だって・・・あなた、私が反対したってどうせ聞かないでしょ?」


「・・・聞かない。笑」


本当に良い人と出会ったな、と思った。




ポパイ電工のような、いわゆる超一流企業を、たったの1年であっさり辞めて、一般的には無名に近い中小企業に行くなんて、「あいつは頭がおかしい」と言われても仕方がないだろう。

年収も少し下がったし、大企業のように住宅手当で都心のきれいなマンションには住めないから、郊外の小さなアパートに引っ越した。



これから・・・

何が待っているかは分からないけど、新しい生活が、新しい仕事が始まるんだ。




安斎は、「ポパイ電工」という呪縛から解放されて、安らかな気持ちで、正月をゆっくりと過ごした。



99日目



ビート・チック・サタデーナイトフィーバー株式会社。通称「ビーチク」。

渋谷駅から少し歩いたところにある、小さなオフィスが、私の次の職場だった。


新卒で入ったL&Psの本社ビルや、つい先月まで働いていたポパイ電工の巨大なグローバル本社ビルと比べると、非常に小さい。ここで働いているのは・・・せいぜい200人くらいだろうか。


ここには、社員食堂も無ければ、大きなショールームも無い。受付の女性は一人しかいないし、大げさなセキュリティチェックも、沢山の警備員も見当たらない。

本当に小さな会社だ。



そう・・・

安斎は、28歳で2回目の転職をしたのだ。

また、一からのスタートか。新鮮な気持ちで、頑張ろう。

でも・・・今度は、ポパイ電工に入った時とは違う。私は業界で世界最大手L&Psでの商品企画経験や海外駐在経験を評価されて、同じオパンティー業界の老舗中堅企業「ビーチク」に採用されている。


自分の能力で、会社に貢献する。

世界に、マーケットに、お客さんに、大きな影響を与える仕事をするんだ。



「おはようございます!安斎響市と申します。本日から、よろしくお願いいたします!!」


人事担当者との入社手続きを終えて、自分の部署に配属・・・と思ったところで、


「あ、今日、安斎さんの部署の人たち半分くらい海外出張中だから、あんまり人いないかも」

と言われ・・・


「とりあえず行ってみます。・・・3Fでしたよね?」と自分の部署らしき「商品企画部」と書いたオフィススペースに入っていくと・・・なんと、自分の上司である吉本さんも出張中で不在らしく、安斎は、入社初日から一人ぼっちで放置されてしまった。



えーっと・・・

どうするかな。



とりあえずPCのセットアップとかして・・・先輩何人かは一応出社してるみたいだから何か手伝えることを・・・


「あ、ごめん!俺今日3時に帰る予定で、ちょっと時間なくてバタバタしてて・・・適当にその辺のカタログでも読んどいて!」


「は・・・はい・・・。

あ、あの、商品企画部のマニュアルとか、何か参考になるものって・・・」


「あ~~、さすがはL&Ps出身って感じだね~。うちの会社、L&Psみたいな大手じゃないからさ、マニュアルとか無いのよ、ハハハ。大丈夫、すぐ慣れるよ~」




確かに・・・「新入社員研修」とか、さすがに一週間くらいはあるのかな、と思ってたけど、1秒も無かったし・・・

私は、少し前に辞めたメンバーの補充要員として雇われているはずだけど、その人も「引き継ぎ書」とか特に何も残していないらしい。


思った以上に、何もないんだな・・・



「あ・・あなたよね!安斎さん!?だっけ?

L&Ps出身って面白そうな人入ったな~と思って!ちょっとランチ行きましょうよ。今日、上司もいないし、うちのメンバーあんまり出社してないんだけどさ」



そのまま・・・柳下さんという女性の先輩と、チャーリーというフィンランド人の先輩と一緒に、近くのファミレスで、適当な雑談をすること、3時間・・・



「あの~昼休みの時間、とっくに過ぎてますけど、会社に戻らなくていいんですか?」


「いいのいいの!!今日は上司もいないし、そもそも、うちの会社、そんな細かいこと言う人いないから!企画部の田代って奴なんて、月に3日か4日くらいしかオフィスに出社してないしね~。」


「・・・そうなんですね。

私、前にいたポパイ電工は、昼休みの12時~1時以外に会社のビルの外に出るためには、外出申請書上司のハンコが必要で、コンビニに行くのも許されない会社だったので・・・

ずいぶん違うな~って」


「何それ、すごいね~。私はもう10年以上この会社だから、分かんないや」



やはり・・・

この会社、ビーチクは、私が今まで働いていたポパイ電工とも、L&Psとも、全然違う会社なんだな・・・



そんなことを思っていた、

その時だった。





「・・・それでね、安斎さん。

入社初日にこんな事、言うべきじゃないのかもしれないんだけど・・・


実は、この会社、めちゃくちゃヤバいのよ




・・え??





100日目



ビート・チック・サタデーナイトフィーバー株式会社、通称「ビーチク」に転職して、1カ月が経った。

私は今、ドイツ・フランクフルトにいる。



オパンティー業界では世界最大級の展示会である「OWFES(オパンティー・ワールド・フェスタ)」に、安斎は出席していた。

海外出張は、久しぶりだ。

ポパイ電工にいた頃は、「海外営業」という仕事をしているにも関わらず、海外出張は一切なかったし、それどころか国内出張さえもなく、仕事で英語を使うこともほとんどなかった。

L&Psにいた頃も、海外出張は、頑張った社員に対する「ご褒美旅行」みたいな扱いで、実際には仕事というよりただの観光に近く、私はL&Psで多くの国に出張に行ったものの・・・ あまり、それに「やりがい」を感じてはいなかった。


「ビーチク」の海外出張は、忙しかった。

そもそも、大企業時代は飛行機のチケットやホテルの予約は全て会社のトラベルデスクがやってくれたが、中小企業にそんなものはないので、全部自分で手配する。大企業時代は当然のように乗っていたビジネスクラスの飛行機にも、もう乗れない。

そして・・・出張先で何をして、どんな結果を出すかも、すべて自分で決める。



私は今回、


①台湾と中国のサプライヤーとの新商品企画の打ち合わせ、

②新規のサプライヤー候補の開拓、

③競合他社の新商品と市場トレンドの調査、

④ビーチク欧州法人のベテラン社員からの商品研修受講


などを出張の目的としていたが、それらも全部自分で考えて決めたものだ。

大企業時代のように、上司があれをやれ、これをやれ、と細かい指示を出して、毎日進捗を確認することもない。


本当に、ビーチクという中小企業での働き方は、今まで私が知っていたL&Psやポパイ電工など、大企業での働き方とは全く違っていた。





入社初日・・・柳下さんに、

「実は、この会社、めちゃくちゃヤバいのよ」

と言われたときは、ドキッとしたが・・・




「柳下さん・・・『ヤバい』というのはもしかして・・・赤フンドシで土下座とかゴミの分別で全国大会とか上司の右手が包帯だらけとか。。。

そういうことですか?」




・・・ちょっと何言ってるか分かんない。

この会社ね、創業者の家系の経営が未だに残ってて、社内政治が強いのよ。

だから・・・本当に良い製品をお客様に届けることよりも、営業部内部の派閥争いとか、企画部と営業部でどっちが主導権を握るかとかが邪魔をして、グローバルで、中国などの成長市場に力を入れるべきか、北米や欧州地域の既存市場を優先して守るべきかとか、新しい製品領域に私たちも参入すべきなのかとか、そういう経営判断が明確にできていないの。

私は・・・競合のラビリンスに勝ちたい。

私たちの技術で、ラビリンスより良い製品を作れることを証明したい。だから、この商品企画の仕事で・・・


安斎さん??

何笑ってんの!?真面目な話なんだけど。



・・・泣いて・・いるの?





「いえ・・・良かった・・・

本当に良かったです・・・

この会社は、まともです





・・・。




確かに、ビーチクは、ボロボロのハリボテみたいな会社だった。

カリスマ経営者だった創業者が5年前に亡くなって以来・・・後を継いだ二代目のボンクラ息子は、社長として全く使い物にならず、業績は低迷。そこで、3年前に白羽の矢が立ったのが、世界最大手企業「L&Ps」を定年退職した業界の有名人、西園寺公正。


しかし・・・外部から「天下り」してきた西園寺に対する社内の風当たりは強く、既得権益を守ろうとする創業家保守派と、風雲児・西園寺を中心とする改革派との、社内の政治争いが続いていた。


そして・・・西園寺派閥「改革派」の一員として、大手企業L&Psでの商品企画経験を活かして、次々に新しい提案を打ち出し、アメリカやヨーロッパの現地メンバーとの英語でのディスカッションや、中国工場や台湾サプライヤーとの中国語での細かい交渉・調整まで行う、

新人の企画担当者が、安斎響市であった。


天下りしてきた西園寺が、人事部長の反対を押し切って採用した、西園寺と同じ最大手企業L&Ps出身、トリリンガルという生意気な若手に、「何なんだアイツは・・・」と反感を持つ古参社員も多くいたが・・・

安斎には、正直、社内政治なんて、どうだってよかった。


この会社には、「仕事」が、あった。


どこの会社にだって、多少の問題はある。ネチネチした社内政治や人間関係だって、どこの会社にも多少はある。経営陣が100%パーフェクトで素晴らしくて社員みんなハッピーな会社なんて、きっと、この世には存在しないだろう。

そんなことは、気にしなくてもいい。


私は、いま、自分の過去の「仕事の経験値」と、英語と中国語という自分の「特技」を生かして、少なくとも、何かしらの「意味のある仕事」をしている。



私は、この世界から必要とされている


そう思えたこと、そういう自信を持てるようになったことが、自分の人生にとって、大きな収穫だった。



もはや、自分が入社した会社が「ヤバイ会社かどうか」じゃない。そんな心配は必要ない。もし「ヤバい会社」だったら、さっさと見切りをつけて転職すればいいだけなのだから。


もう、何も怖くはない。私の能力を必要としている会社は、この世の中にたくさんあるのだから。


2回の転職が、彼の人生観を大きく変えた。



ビーチクに来て、本当に良かった。仕事は忙しいし、決して楽しいことばかりじゃないけど、ここには「私の仕事」がある。



「Hey Kyoichi, Let me know your opinion about the product strategy of Wireless Opanties line-up from Labyrinth.(キョ―イチ!ラビリンスのワイヤレス・オパンティーの商品戦略について、ぜひ君の意見を聞かせてくれないか?)」

「My Pleasure! Alex! Based on the past customer survey results I had experienced in Love and Panties 2 years ago...(もちろんさ、アレックス!私が2年前、L&Ps時代に行った顧客調査の経験を思い出してみると・・・)」




私のことを「ジョブホッパー」だと、笑いたい奴は、笑えばいい。


私は、自分が何度転職しようとも、その度に「雇いたい」と言ってくれる会社が見つかること、

自分が「世界から必要とされていること」を、誇りに思う。






私の名前は、安斎響市。

誰よりも自由に、私は今日も、働く。





仕事に向かう彼の顔つきは、

今までで一番明るい。


それは、自信に満ち溢れた

「笑顔」だった。




 





100日後に転職するジョブホッパー






※この物語はフィクションです。

登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは一切関係ありません。



100日間のご愛読、
ありがとうございました。





「あとがき」こちら











第一章「オッパブと上司の骨折」はこちら


第二章「心の中でタイキック」はこちら


第三章「忘却のひよこリスペクト」はこちら


第四章「あの夏の日の活動記録」はこちら

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